別冊

雪頽人に災す(北越雪譜)1/32018/02/06 00:49

北越雪譜初編 巻之中
   越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
   江  戸 京山人百樹 刪定

 ○雪頽(なだれ)人に災(わざわひ)す 1/3

 我住(わがすむ)魚沼郡(うをぬまこほり)の内にて雪頽の為に非命の死をなしたる事、其村の人のはなしをこゝに記(しる)す。しかれども人の不祥なれば人名を詳(つまびらか)にせず。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.53~58)

■ わたし(牧之)の住んでいる魚沼郡で、雪崩で悲惨な死亡事故が起きたとき、その村の人に聞いた話をここに載せます。
しかし人の不幸な出来事なので、名前などは明記しないでおくことにします。



雪頽人に災す(北越雪譜)2/32018/02/06 01:00

北越雪譜初編 巻之中
   越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
   江  戸 京山人百樹 刪定

 ○雪頽(なだれ)人に災(わざわひ)す 2/3

○こゝに何村(なにむら)といふ所に家内の上下十人あまりの農人(のうにん)あり。主人(あるじ)は五十歳ばかり妻は四十にたらず、世息(せがれ)は二十(はたち)あまり娘は十八と十五也。いづれも孝子(かうし)の聞(きこえ)ありけり。一年(ひとゝせ)二月のはじめ、主人は朝より用ある所へ出行(いでゆき)しが其日も已(すで)に申(さる)の頃なれど帰りきたらず、さのみ間(ひま)をとるべき用にもあらざりければ、家内不審におもひ悴(せがれ)家僕をつれて其家にいたり父が事をたづねしにこゝへはきたらずといふ。しからばこゝならんかしこならんなど家僕とはかりて尋求(たづねもとめ)しかど更に音間(おとづれ)をきかず、日もはや暮なんとすれば空しく家に帰り、しか/\のよし母に語りければ、こは心得ぬ事也とて心あたりの処こゝかしこへ人を走らせて尋(たづね)させけるにその在家(ありか)さらにしれず。其夜四更(しかう)頃にいたれども主人は帰らず。此事近隣に聞えて人々集り種々(さま/”\)に評議して居(ゐ)たるをりしも一老夫来りていふやう、あるじの見え給はぬとや、我心あたりのあるゆゑしらせ申さんとて来れりといふ。すはこゝろあたりときゝて主人の妻大によろこび、子どもらもとも/”\に言語(ことば)をそろへてまづ礼をのべ、その仔細をたづねければ、老夫いふやう、それがし今朝(けさ)西山の嶺半(たふげなかば)にさしかゝらんとせし時、こゝのあるじ行逢(ゆきあひ)、何方(いづかた)へとたづねければ稲倉(いなくら)村へ行(ゆく)とて行過(ゆきすぎ)給ひぬ。我は宿へ帰り足にて遥(はるか)に行過たる頃、例の雪頽の音をきゝてこれかならずかの山ならんと嶺(たふげ)を無事に通りしをよろこびしにつけ、こゝのあるじはふもとを無難に行過給ひしや、万一なだれに逢(あひ)はし給はざりしかと案じつゝ宿へかへりぬ。今に帰り給はぬはもしやなだれにといひて眉を皺(しは)めければ、親子は心あたりときゝてたのみし事も案にたがひて、顔見あはせ泪(なみだ)さしぐむばかり也。老夫はこれを見てそこ/\に立かへりぬ。集居(あつまりゐ)たる若人(わかて)どもこれをきゝて、さらばなだれの処にいたりてたづねみん、炬(たいまつ)こしらへよなど立騒(たちさは)ぎければ、ひとりの老人がいふ、いな/\まづまち候へ、遠くたづねに行(ゆき)し者もいまだかへらず、今にもその人おなじくあるじの帰りたまはんもはかりがたし、雪頽にうたれ給ふやうなる不覚人(ふかくにん)にはあらざるをかの老奴(おやじ)めがいらざることをいひて親子たちの心を苦(くるしめ)たりといふに、親子はこれに励(はげま)されて心慰(こゝろひらけ)、酒肴(しゆかう)をいだして人々にすゝむ。これを見て皆打ゑみつゝ炉辺(ろへん)に座列(ゐならび)て酒酌(くみ)かはし、やゝ時うつりて遠く走(はせ)たる者ども立かへりしに行方(ゆくへ)は猶しれざりけり。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.53~58)

 ・ ・ ・

 ○雪頽(なだれ)人に災(わざわひ)す 2/3

||○こゝに何村(なにむら)といふ所に家内の上下十人あまりの農人(のうにん)あり。主人(あるじ)は五十歳ばかり妻は四十にたらず、世息(せがれ)は二十(はたち)あまり娘は十八と十五也。いづれも孝子(かうし)の聞(きこえ)ありけり。

■某村に十人ほどが住んでいる農家がありました。
主人は五十歳くらいで妻は四十歳にはどかない年です。
息子は二十歳過ぎで娘は十八歳と十五歳の二人。
とても親孝行と評判でした。

||一年(ひとゝせ)二月のはじめ、主人は朝より用ある所へ出行(いでゆき)しが其日も已(すで)に申(さる)の頃なれど帰りきたらず、さのみ間(ひま)をとるべき用にもあらざりければ、家内不審におもひ悴(せがれ)家僕をつれて其家にいたり父が事をたづねしにこゝへはきたらずといふ。

■ある年の二月初め、主人が朝から所用があって出掛けたのですが、既に午後も大分過ぎて(午後四時頃)も帰ってこない。
さほど時間の掛かる用事でもないので、家族は心配する。
息子が使用人を連れて、父が出掛けた筈の家まで行って尋ねてみると、「いや、ここには来られなかった」と言う。

||しからばこゝならんかしこならんなど家僕とはかりて尋求(たづねもとめ)しかど更に音間(おとづれ)をきかず、日もはや暮なんとすれば空しく家に帰り、しか/\のよし母に語りければ、こは心得ぬ事也とて心あたりの処こゝかしこへ人を走らせて尋(たづね)させけるにその在家(ありか)さらにしれず。

■「それならばあそこかも」とあたりをつけた家を使用人と手分けして何軒も尋ねてみたのですが、どの家でも「いや、こっちには来ていない」と。
日も暮れてしまいそうなので、手掛かりもつかめないまま家に帰りました。
その事を母に話すと、母も心当たりのあちらこちらの家に使いを走らせて訪ねさせたのですが、どこにも行った痕跡が無い。

||其夜四更(しかう)頃にいたれども主人は帰らず。

■夜も更けて(午前二時前後)しまっても主人は戻ってこないのです。

||此事近隣に聞えて人々集り種々(さま/”\)に評議して居(ゐ)たるをりしも一老夫来りていふやう、あるじの見え給はぬとや、我心あたりのあるゆゑしらせ申さんとて来れりといふ。

■近所の人も聞きつけてその家に集まって、さてどこに出かけられたかと色々と推理して話をしていました。
そこへ、一人の老人が来ました。
「ご主人が行方不明とか、わたしに心当たりがあるのでその事をお知らせしようと思い、来ました」と言う。

||すはこゝろあたりときゝて主人の妻大によろこび、子どもらもとも/”\に言語(ことば)をそろへてまづ礼をのべ、その仔細をたづねければ、老夫いふやう、それがし今朝(けさ)西山の嶺半(たふげなかば)にさしかゝらんとせし時、こゝのあるじ行逢(ゆきあひ)、何方(いづかた)へとたづねければ稲倉(いなくら)村へ行(ゆく)とて行過(ゆきすぎ)給ひぬ。

■「心当たりがある」と聞いて、さてはと妻は大変喜んで、息子娘達も揃ってお礼の言葉を発しました。
それからその老人の話を聞きました。老人が話す。
老人は今朝、西山の峠の半ばまで行き着くあたりで、ここの主人と行き遭った。
「どこに行かっさる」「稲倉村までだ」と挨拶をしてすれ違ったと話しました。

||我は宿へ帰り足にて遥(はるか)に行過たる頃、例の雪頽の音をきゝてこれかならずかの山ならんと嶺(たふげ)を無事に通りしをよろこびしにつけ、こゝのあるじはふもとを無難に行過給ひしや、万一なだれに逢(あひ)はし給はざりしかと案じつゝ宿へかへりぬ。

■〈老人〉「わたしは宿屋への帰り道でした。
大分行き過ぎた頃に遠くに雪崩の音を聞いたのです。
『これは、あそこの山に違いない、通り過ぎてからでよかった』と喜んだのですが、『さっき会ったあの人は麓を大事無く通れただろうか、もしや雪崩に遭ったら』と心配しながら宿屋に帰りました」。

||今に帰り給はぬはもしやなだれにといひて眉を皺(しは)めければ、親子は心あたりときゝてたのみし事も案にたがひて、顔見あはせ泪(なみだ)さしぐむばかり也。

■〈老人〉「今の時間になってもお帰りにならないのはもしやその雪崩に、、」
と眉間にしわ。親子は、心当たりと聞いて喜んだのですが、予想外の話に、顔を見合わせて涙ぐんでしまいました。

||老夫はこれを見てそこ/\に立かへりぬ。

■老人は、その場に居た堪られなくなり、そこそこに帰ってしまいました。

||集居(あつまりゐ)たる若人(わかて)どもこれをきゝて、さらばなだれの処にいたりてたづねみん、炬(たいまつ)こしらへよなど立騒(たちさは)ぎければ、ひとりの老人がいふ、

■集まっていた中の若者たちはこれを聞いて、
〈若者〉「それなら雪崩の場所に行って捜索してみよう。まずは、松明の準備だ!」
と騒ぎ出しはじめました。これを聞いていた一人の老翁が諌める。

||いな/\まづまち候へ、遠くたづねに行(ゆき)し者もいまだかへらず、今にもその人おなじくあるじの帰りたまはんもはかりがたし、雪頽にうたれ給ふやうなる不覚人(ふかくにん)にはあらざるをかの老奴(おやじ)めがいらざることをいひて親子たちの心を苦(くるしめ)たりといふに、

■〈老翁〉「いやいや、先ず落着け。遠くに尋ねに行った者もまだ戻ってきていないのだ。
それらの人たちは今でも、主人が帰られたかどうかの判断もついていないのだぞ。
ここの主人は決して雪崩になど遭うような判断力の無い御仁ではない。
それをあの老いぼれ旅人の野郎が要らぬことを言って一家の気持を逆立てしやがって」。

||親子はこれに励(はげま)されて心慰(こゝろひらけ)、酒肴(しゆかう)をいだして人々にすゝむ。

■親子はこの老翁の言葉を聞いて、気持が落着き、酒肴の準備をして集まった人たちにお礼をしました。

||これを見て皆打ゑみつゝ炉辺(ろへん)に座列(ゐならび)て酒酌(くみ)かはし、やゝ時うつりて遠く走(はせ)たる者ども立かへりしに行方(ゆくへ)は猶しれざりけり。

■みんなも、穏やかな気持になって囲炉裏端に座り込んで、酒の席となりました。
しばらくして、遠くまで使いに行った人たちも帰って来ましたが、主人の行方は判らないままでした。



雪頽人に災す(北越雪譜)3/32018/02/06 01:06

北越雪譜初編 巻之中
   越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
   江  戸 京山人百樹 刪定

 ○雪頽(なだれ)人に災(わざわひ)す 3/3

○かくて夜も明(あけ)ければ、村の者どもはさら也、聞(きゝ)しほどの人々此家(このいへ)に群(あつま)り来り、此上はとて手に/\木鋤(こすき)を持家内の人々も後(あと)にしたがひてかの老夫がいひつるなだれの処に至りけり。さて雪頽を見るにさのみにはあらぬすこしのなだれなれば、道を塞(ふさぎ)たる事二十間(けん)余り雪の土手をなせり。よしやこゝに死たりともなだれの下をこゝぞとたづねんよすがもなければ、いかにやせんと人々佇立(たゝずみ)たるなかに、かの老人よし/\所為(しかた)こそあれとて若き者どもをつれ近き村にいたりて●(にはとり)をかりあつめ、雪頽の上にはなち餌(ゑ)をあたえつゝおもふ処へあゆませけるに、一羽の●羽たゝきして時ならぬに為晨(ときをつくりければ余(ほか)のにはとりもこゝにあつまりて声をあはせけり。こは水中の死骸をもとむる術(じゅつ)なるを雪に用ひしは応変(おうへん)の才也しと、のち/\までも人々いひあへり。老人衆(しゆう)にむかひあるじはかならず此下に在(あ)るべし、いざ掘れほらんとて大勢一度に立かゝりて雪頽を砕きなどして堀けるほどに、大なる穴をなして六七尺もほり入れしが目に見ゆるものさらになし。猶ちからを尽してほりけるに真白(ましろ)なる雪のなかに血を染たる雪にほりあて、すはやとて猶ほり入れしに片腕ちぎれて首なき死骸をほりいだし、やがて腕(かひな)はいでたれども首はいでず、こはいかにとて広く穴にしたるなかをあちこちほりもとめてやう/\首もいでたり。雪中にありしゆゑ面生(おもていけ)るがごとく也。さいぜんよりこゝにありつる妻(つま)子らこれを見るより妻は夫が首を抱へ、子どもは死骸にとりすがり声をあげて哭(なき)けり、人々もこのあはれさを見て袖(そで)をぬらさぬはなかりけり。かくてもあられねば妻は着たる羽織に夫の首をつゝみてかゝへ、世息(せがれ)は布子(ぬのこ)を脱(ぬぎ)て父の死骸に腕(うで)をそへて泪ながらにつゝみ背負(せおは)んとする時、さいぜん走りたる者ども戸板むしろなど担(かた)げる用意をなしきたり、妻がもちたる首をもなきからにそへてかたげれば、人々前後につきそひ、つま子らは哭(なく)々あとにつきて帰りけるとぞ。此ものがたりは牧之が若かりし時その事にあづかりたる人のかたりしまゝをしるせり。これのみならずなだれに命をうしなひし人猶多かり、またなだれに家をおしつぶせし事もありき。其怖(おそろし)さいはんかたなし。かの死骸の頭(かしら)と腕(かひな)の断離(ちぎれ)たるは、なだれにうたれて磨断(すりきら)れたる也。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.53~58)

 ・ ・ ・

 ○雪頽(なだれ)人に災(わざわひ)す 3/3

||○かくて夜も明(あけ)ければ、村の者どもはさら也、聞(きゝ)しほどの人々此家(このいへ)に群(あつま)り来り、

■さて、夜が明けてから、集落の人たちは勿論の事、その話を聞いた人たちがこの家に大勢集まりました。

||此上はとて手に/\木鋤(こすき)を持家内の人々も後(あと)にしたがひてかの老夫がいひつるなだれの処に至りけり。

■それならば(捜索となるのであれば)と、手に手にコスキ(木鋤)を持って、家内の人たちもその後について、昨晩の旅の老人が言っていた雪崩の場所まで行ったのです。

||さて雪頽を見るにさのみにはあらぬすこしのなだれなれば、道を塞(ふさぎ)たる事二十間(けん)余り雪の土手をなせり。

■その雪崩の場所は、それほど大きい雪崩ではなかったようで、道は雪で二十間(六十メートル)ほどが塞がれて土手のようになっていました。

||よしやこゝに死たりともなだれの下をこゝぞとたづねんよすがもなければ、いかにやせんと人々佇立(たゝずみ)たるなかに、

■仮にこの場所で亡くなったとしても、雪崩の下のどの場所を探せばいいのか、どこから探せばいいのかもわからない。
さてどうしようかと、人びとは手をあぐねています。

||かの老人よし/\所為(しかた)こそあれとて若き者どもをつれ近き村にいたりて●(にはとり)をかりあつめ、雪頽の上にはなち餌(ゑ)をあたえつゝおもふ処へあゆませけるに、一羽の●羽たゝきして時ならぬに為晨(ときをつくり)ければ余(ほか)のにはとりもこゝにあつまりて声をあはせけり。
(●は、“鶏”の鳥の字が“隹”の字)

■昨晩の老翁は「そういうときの方法もあるのだ」と言って、若者を連れ立って近くの村に行きました。
そして家々からニワトリを借り集めました。
そして、ニワトリを雪崩の雪上に放して、餌をばら撒いてニワトリを自由に歩かせると一羽が羽ばたきをして朝でもないのにコケコッコーと鳴いたのです。
すると、他のニワトリもその場所に集まってきて、呼応して鳴くのです。

||こは水中の死骸をもとむる術(じゅつ)なるを雪に用ひしは応変(おうへん)の才也しと、のち/\までも人々いひあへり。

■これは、水中の死体を捜す方法を雪上に応用した機転の知恵だと、人びとは感心して後々まで語られたことでした。

||老人衆(しゆう)にむかひあるじはかならず此下に在(あ)るべし、いざ掘れほらんとて大勢一度に立かゝりて雪頽を砕きなどして堀けるほどに、大なる穴をなして六七尺もほり入れしが目に見ゆるものさらになし。

■老翁は若者たちに向かって「なきがらは絶対にこの下にある」と宣言しました。
さあ掘れ、掘り出せと、大勢で一緒にその場所の雪を砕いたりして掘っていくと、大きな穴になって背丈以上も掘ったのですが、何も見えません。

||猶ちからを尽してほりけるに真白(ましろ)なる雪のなかに血を染たる雪にほりあて、すはやとて猶ほり入れしに片腕ちぎれて首なき死骸をほりいだし、やがて腕(かひな)はいでたれども首はいでず、こはいかにとて広く穴にしたるなかをあちこちほりもとめてやう/\首もいでたり。

■それでも、力の限りと掘っていくと、真っ白な雪の中に血に染んだ雪が出てきました。
ここだ!ともっと深く迄掘ると、片腕が千切れて首の無い死骸があったのです。
少ししてその腕も出てきましたが、首が見つからない。
いったいどういうことかと、穴を広げてその中をあちらこちらを掘っていくと、やっと首も見つかったのです。

||雪中にありしゆゑ面生(おもていけ)るがごとく也。

■冷たい雪の中だったので、その顔はまるで生きているままのようでした。

||さいぜんよりこゝにありつる妻(つま)子らこれを見るより妻は夫が首を抱へ、子どもは死骸にとりすがり声をあげて哭(なき)けり、人々もこのあはれさを見て袖(そで)をぬらさぬはなかりけり。

■しばらく前からその場所にいた妻と子供たち、それを見たとたんに、妻は夫の首を抱えて、子供は死骸に取りすがって、慟哭しました。
周りの人々も、あまりの気の毒さを見て泣かない人はいなかったのです。

||かくてもあられねば妻は着たる羽織に夫の首をつゝみてかゝへ、世息(せがれ)は布子(ぬのこ)を脱(ぬぎ)て父の死骸に腕(うで)をそへて泪ながらにつゝみ背負(せおは)んとする時、さいぜん走りたる者ども戸板むしろなど担(かた)げる用意をなしきたり、妻がもちたる首をもなきからにそへてかたげれば、人々前後につきそひ、つま子らは哭(なく)々あとにつきて帰りけるとぞ。

■そうしている訳にもいかないので、妻は自分の着ていた羽織で夫の頭部を包んで抱えて、
息子は綿入れの上着を脱いで、父の死骸に腕をそろえて、泣きながら包んで背負おうとしました。
そのときに、しばらく前(発見した時)に走って行った人たちが、戸板や莚を持ってきて担いで運ぶ準備をしていたのです。
そして、妻が持っていた首も一緒にして、担いでいきます。
人たちは前後ろに付き添って、妻と子供たちも泣きながらその後について家まで帰ったそうです。

||此ものがたりは牧之が若かりし時その事にあづかりたる人のかたりしまゝをしるせり。

■この話は、わたし(牧之)が若い頃に、この現場に立ち会った人が語ったことをそのままに記しました。

||これのみならずなだれに命をうしなひし人猶多かり、またなだれに家をおしつぶせし事もありき。其怖(おそろし)さいはんかたなし。

■この例だけで無く、雪崩で命を失った人は多いのです。
また雪崩で家を押し潰されることもあります。
なんとも言いようの無い怖ろしいことです。

||かの死骸の頭(かしら)と腕(かひな)の断離(ちぎれ)たるは、なだれにうたれて磨断(すりきら)れたる也。

■この死骸が、胴体から頭と腕が切断されてしまったのは、雪崩に打たれて擦られて引き千切れてしまったのです。



寺の雪頽(北越雪譜)2018/02/06 21:47

北越雪譜初編 巻之中
   越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
   江  戸 京山人百樹 刪定

 ○寺の雪頽(なだれ)

 なだれは敢(あへ)て山にもかぎらず、形状(かたち)嶺(みね)をなしたる処は時としてなだるゝ事あり。文化のはじめ、思川村(おもひがはむら)天晶寺(てんしやうじ)の住職(じゆうしよく)執中和尚(しつちゆうおせう)は牧之が伯父(をじ)也。仲冬のすゑ此人居間の二階にて書案(つくゑ)によりて物を書(かき)てをられしが、窓の庇に下りたる垂氷(つらゝ)の五六尺なるが明りに障りて机のほとり暗きゆゑ、家の檐(のき)にいで、家僕(しもべ)が雪をほらんとてうちおきたる木鋤(こすき)をとり、かのつらゝを打(うち)をらんとて一打うちけるに、此ひゞきにやありけん-里言につらゞを〔かなこほり〕といふ、たるひとは古言にもいふ-本堂に積(つもり)たる雪の片屋根磊々(ぐら/”\)となだれおち、土蔵のほとりに清水がゝりの池ありしに和尚なだれに押落(おしおと)され池に入るべきを、なだれの勢(いきほ)ひに身は手鞠(てまり)のごとく池をもはねこえて堀揚(ほりあげ)たる雪に半身を埋められ、あとさけびたるこゑに庫裏(くり)の雪をほりゐたるしもべら馳(はせ)きたり持(もち)たる木鋤にて和尚を堀いだしければ、和尚大に笑ひ身うちを見るに聊(いさゝか)も疵(きず)うけず、耳に掛(かけ)たる目鏡(めかね)さへつゝがなく不思議の命をたすかり給ひぬ。此時七十余の老僧なりしが、前にいへる何村(なにむら)の人の不幸に比(くらぶ)れば万死に一生をえられたる天幸(てんかう)といひつべし。齢(よはひ)も八十余まで無病にして文政のすゑに遷化(せんげ)せられき。平日余(よ)に示していはれしは、我雪頽に撞(うた)れしとき筆を採りて居(ゐ)たりしは尊き仏経なりしゆゑ、たゞにやはとて一字毎に念仏中て書居(かきを)れり、しかるに雪頽に死すべかりしを不思議に命助かりしは一字念仏の功徳(くどく)にてやありけん、されば人は常に神仏(かみほとけ)を信心して悪事災難を免れん事をいのるべし、神仏(かみほとけ)を信ずる心の中(うち)より悪心はいでぬもの也、悪心の無(なき)が災難をのがるゝ第一也とをしへられき。今も猶耳に残れり。人智(じんち)を尽してのちはからざる大難にあふは因果のしからしむる処ならんか、人にははかりしりがたし。人家の雪頽にも家を潰せし事人の死たるなどあまた見聞(みきゝ)したれどもさのみはとてしるさず。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.58~59)

 ・ ・ ・

 ○寺の雪頽(なだれ)

|| なだれは敢(あへ)て山にもかぎらず、形状(かたち)嶺(みね)をなしたる処は時としてなだるゝ事あり。

■雪崩は山に限らず、斜面の形をした場所では時には雪崩が発生します。

||文化のはじめ、思川村(おもひがはむら)天晶寺(てんしやうじ)の住職(じゆうしよく)執中和尚(しつちゆうおせう)は牧之が伯父(をじ)也。

■文化年代(1804~)の初め頃のことですが、思川村天晶寺の執中和尚の話を書いてみます。
この和尚様はわたしの伯父のことです。

||仲冬のすゑ此人居間の二階にて書案(つくゑ)によりて物を書(かき)てをられしが、窓の庇に下りたる垂氷(つらゝ)の五六尺なるが明りに障りて机のほとり暗きゆゑ、家の檐(のき)にいで、家僕(しもべ)が雪をほらんとてうちおきたる木鋤(こすき)をとり、かのつらゝを打(うち)をらんとて一打うちけるに、此ひゞきにやありけん-里言につらゞを〔かなこほり〕といふ、たるひとは古言にもいふ-本堂に積(つもり)たる雪の片屋根磊々(ぐら/”\)となだれおち、土蔵のほとりに清水がゝりの池ありしに和尚なだれに押落(おしおと)され池に入るべきを、なだれの勢(いきほ)ひに身は手鞠(てまり)のごとく池をもはねこえて堀揚(ほりあげ)たる雪に半身を埋められ、あとさけびたるこゑに庫裏(くり)の雪をほりゐたるしもべら馳(はせ)きたり持(もち)たる木鋤にて和尚を堀いだしければ、和尚大に笑ひ身うちを見るに聊(いさゝか)も疵(きず)うけず、耳に掛(かけ)たる目鏡(めかね)さへつゝがなく不思議の命をたすかり給ひぬ。

■冬の二月(陰暦)末頃、寺の居間の二階で机に向かって書き物をしておりました。
窓の庇(ひさし)にツララが五六尺も下がってきて机の周りが日陰になって暗い。
軒下に出て、ツララを折ろうとしてコスキで一叩きしたのです。
(〔ツララ〕のことは〔金凍り〕というくらいだから堅いのです)。
その音の所為でしょうか、本堂に積っていた片側の屋根の雪がずしんずしんと崩れ落ちたのです。
そのまま雪崩に押し落とされると土蔵の傍の水を引いた池に落ちる。
ところが、雪崩の勢いで和尚の体は手鞠のように、池を飛び越えて庭の雪置場の雪の所まで飛ばされて体半分まで埋まってしまった。
「あっ」という和尚の声で、庫裏の周りで雪片しをしていた寺男たちが駆けつけてきて、コスキで雪を掻き出して救助した。
ところが和尚は、大笑い。体をみるとどこにも打撲の傷一つも無しで、
掛けていた眼鏡さえずれたり外れもしなかったのでした。

||此時七十余の老僧なりしが、前にいへる何村(なにむら)の人の不幸に比(くらぶ)れば万死に一生をえられたる天幸(てんかう)といひつべし。

■和尚様は七十過ぎでしたが、前述した某村の悲劇に較べれば、まさに九死に一生を得たとも言うべき天の恵みです。

||齢(よはひ)も八十余まで無病にして文政のすゑに遷化(せんげ)せられき。

■この和尚様は八十過ぎまで無病息災で過ごされ、文政の末(1830)にお亡くなりになりました。

||平日余(よ)に示していはれしは、我雪頽に撞(うた)れしとき筆を採りて居(ゐ)たりしは尊き仏経なりしゆゑ、たゞにやはとて一字毎に念仏中て書居(かきを)れり、しかるに雪頽に死すべかりしを不思議に命助かりしは一字念仏の功徳(くどく)にてやありけん、されば人は常に神仏(かみほとけ)を信心して悪事災難を免れん事をいのるべし、神仏(かみほとけ)を信ずる心の中(うち)より悪心はいでぬもの也、悪心の無(なき)が災難をのがるゝ第一也とをしへられき。

■よくわたしに言っておられたのはこのようなことでした。
雪崩に遭ったのは、ちょうど筆を持っていたのは、写経をしていたときでした。
尊い仏様の教えなので、ただ書くだけでは(もったいない)と一文字毎に念仏を唱えながら書いていたのです。
雪崩で死ぬかも知れなかったのに、不思議に助かったのはこの一字念仏のお蔭だと思っています。
やはり人はいつでも神仏を信仰して悪事や災難に遭わないように祈るべきなのです。
神仏に帰依する心の中から悪心は出てこないのです。
その邪悪な気持の無かった事が、災難を逃れる一番の事と教えられる思い出ありました。

||今も猶耳に残れり。

■いまも、そうおっしゃった言葉が耳に残っています。

||人智(じんち)を尽してのちはからざる大難にあふは因果のしからしむる処ならんか、人にははかりしりがたし。

■その人が知識と知恵を尽くしても、思いがけない困難にあってしまうのは〔因果〕のなせる事なのかもしれません。
人には推し量りする事の出来ない事なのでしょう。

||人家の雪頽にも家を潰せし事人の死たるなどあまた見聞(みきゝ)したれどもさのみはとてしるさず。

■雪崩で家が潰れて死者が出た事件なども沢山見聞きしましたが、そればかり(不幸事)ばかり書いても詮方なし。
「こんなこともある」ということで(笑)。



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