別冊

雪頽(北越雪譜)1/22018/02/04 19:46

北越雪譜初編 巻之中
   越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
   江  戸 京山人百樹 刪定

 ○雪頽(なだれ)1/2

 山より雪の崩頽(くづれおつる)を里言に〔なだれ〕といふ、又〔なで〕ともいふ。按(あんず)になだれは撫下(なぜおり)る也。〔る〕を〔れ〕といふは活用(はたらかする)ことばなり、山にもいふ也。こゝには雪頽(ゆきくづる)の字を借(かり)て用ふ。字書に頽(たい)は暴風ともあればよく叶へるにや。さて雪頽(なだれ)は雪吹(ふゞき)に双(ならべ)て雪国の難儀とす。高山(たかやま)の雪は里よりも深く凍るも又里よりは甚(はなはだ)し。我国東南の山々里にちかきも雪一丈四五尺なるは浅(あさき)しとす。此雪こほりて岩のごとくなるもの、二月のころにいたれば陽気地中より蒸(むし)て解(とけ)んとする時地
気と天気との為に破(われ)て響(ひゞき)をなす。一片破て片々(へん/\)破る、其ひゞき大木を折(をる)がごとし。これ雪頽(なだれ)んとするの萌(きざし)也。山の地勢と日の照(てら)すとによりて、なだるゝ処(ところ)となだれざる処あり。なだるゝはかならず二月にあり。里人(さとひと)はその時をしり、処をしり、萌(きざし)を知るゆゑに、なだれのために撃死(うたれし)するもの稀(まれ)也。しかれども天の気候不意にして一定(ぢやう)ならざれば、雪頽(なだれ)の下に身を粉(こ)に砕(くだ
く)もあり。雪頽の形勢(ありさま)いかんとなれば、なだれんとする雪の凍(こほり)その大なるは十間以上小なるも九尺五尺にあまる、大小数百千悉(こと/”\)く方(しかく)をなして削りたてたるごとく かならず方(かく)をなす事下に弁(べん)ず なるもの幾千丈の山の上より一度に崩頽(くづれおつ)る、その響百千の雷(いかづち)をなし、大木を折、大石を倒す。此時はかならず暴風(はやて)力をそへて粉に砕(くだき)たる沙礫(こじやり)のごとき雪を飛(とば)せ、白日も暗夜の如くその慄(おそろ)しき事筆紙(ひつし)に尽しがたし。此雪頽に命を捨(おと)しし人、命を拾(ひろひ)し人、我が見聞(みきゝしたるを次の巻(まき))に記(しる)して暖国の人の話柄(はなしのたね)とす。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.47~50)

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 ○雪頽(なだれ)1/2

|| 山より雪の崩頽(くづれおつる)を里言に〔なだれ〕といふ、又〔なで〕ともいふ。按(あんず)になだれは撫下(なぜおり)る也。〔る〕を〔れ〕といふは活用(はたらかする)ことばなり、山にもいふ也。こゝには雪頽(ゆきくづる)の字を借(かり)て用ふ。字書に頽(たい)は暴風ともあればよく叶へるにや。

■ 山から雪が崩れ落ちる事を里言葉で【なだれ】といいます。【なで】ともいいます。
何でかと考えてみろと、なだれは〔撫下(なぜおり)る〕ではないかと思う。
「る」が「れ」となるのは語の活用によるのです。
ここでは、〔雪頽(ゆきくづる)〕という文字で記すことにします。
辞書を引けば、〔頽〕の字には爆風の意味もあるので意味も通じるでしょう。

※原文の雪頽は、この訳文ではなるべく雪崩と表記することにします(掲載子)。

||さて雪頽(なだれ)は雪吹(ふゞき)に双(ならべ)て雪国の難儀とす。高山(たかやま)の雪は里よりも深く凍るも又里よりは甚(はなはだ)し。

■雪崩は吹雪きと同じく雪国では難儀な事になります。
高山の雪は平地よりも深い雪となり、氷雪も平地とは較べものにならないほどです。

||我国東南の山々里にちかきも雪一丈四五尺なるは浅(あさき)しとす。此雪こほりて岩のごとくなるもの、二月のころにいたれば陽気地中より蒸(むし)て解(とけ)んとする時地気と天気との為に破(われ)て響(ひゞき)をなす。一片破て片々(へん/\)破る、其ひゞき大木を折(をる)がごとし。これ雪頽(なだれ)んとするの萌(きざし)也。

■越後山脈の裾野、平地に近い場所でも五メートル程度は浅いといってもよいほどです。
その雪が氷結して岩のようになるのです。
二月頃には、地中の陽気が出始めるので雪下は蒸されて解けだしてきます、
そのときに地の気と天の気がぶつかるので雪が音をたてて裂けるのです。
一箇所で裂けると次々に裂けてきます。
そのときの音は大木が折れるような音がします、この響きが雪崩の予兆です。

||山の地勢と日の照(てら)すとによりて、なだるゝ処(ところ)となだれざる処あり。なだるゝはかならず二月にあり。

■斜面の地形と日照の具合によって、雪崩が発生する所と発生しない場所があります。
雪崩る場所では必ず二月に発生します。

||里人(さとひと)はその時をしり、処をしり、萌(きざし)を知るゆゑに、なだれのために撃死(うたれし)するもの稀(まれ)也。しかれども天の気候不意にして一定(ぢやう)ならざれば、雪頽(なだれ)の下に身を粉(こ)に砕(くだく)もあり。

■その地に住む里人はその時節と場所を知っていて、予兆の響きも知っているので、雪崩に遭って死ぬ事はめったにはありません。
しかし、雪国の天候は急変する事があるので、雪崩にぶつかる事もあるのです。

||雪頽の形勢(ありさま)いかんとなれば、なだれんとする雪の凍(こほり)その大なるは十間以上小なるも九尺五尺にあまる、

■雪崩の規模といったら、崩れる凍った雪は、大きいものは十間(18メートル)以上、中小規模でも3メートル、1.5メートル程の塊となります。

||大小数百千悉(こと/”\)く方(しかく)をなして削りたてたるごとく-かならず方(かく)をなす事下に弁(べん)ず-なるもの幾千丈の山の上より一度に崩頽(くづれおつ)る、その響百千の雷(いかづち)をなし、大木を折、大石を倒す。

■数百千にもなる大小の塊が全て四角になって、高山の山頂から一度に削れ滑り落ちるのです。
そのさまは、無数の雷鳴とともに、大木をなぎ倒して、大きな山石をも転がすのです。
どうして、方(かく)になるのかは、この後で書きます。

||此時はかならず暴風(はやて)力をそへて粉に砕(くだき)たる沙礫(こじやり)のごとき雪を飛(とば)せ、白日も暗夜の如くその慄(おそろ)しき事筆紙(ひつし)に尽しがたし。

■このときには、暴風も発生して砕かれた氷雪は石礫のように雪を飛ばして昼間でも暗闇になってしまうのです。
その恐ろしさは表現のしようも無いほどです。

||此雪頽に命を捨(おと)しし人、命を拾(ひろひ)し人、我が見聞(みきゝしたるを次の巻(まき))に記(しる)して暖国の人の話柄(はなしのたね)とす。

■こういう雪崩に落命した人や危うく助かった人など、わたし(牧之)が見聞した事々については、
次巻に書く事にします。この雪国の恐ろしさをトカイの人への話の種としましょう。

※次巻(北越雪譜初編巻之中)予告で引っぱる(笑)。

まだまだ雪について書く事があったのだ。しかし、巻之上は、ぜひとも鈴木牧之を塩沢に訪ねるまでには、初稿を仕上げねばならない。
さて、どうするか。そして、巻之上の丁をあわせる(頁数を合わせる)ためにも、京山は書き出したのだ、それがまた、筆のいきおいは、止まらなくなってしまう。
(あくまで、本掲載子の想像(与太ですから(笑)))。



雪頽(北越雪譜)2/22018/02/04 19:52

北越雪譜初編 巻之中
   越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
   江  戸 京山人百樹 刪定

 ○雪頽(なだれ)2/2

 或人問曰(とふてしはく)、雪の形六出(むつかど)なるは前に弁ありて詳(つまびらか)也。雪頽は雪の塊(かたまり)ならん、砕(くだけ)たる形雪の六出なる本形をうしなひて方形(かどだつ)はいかん、答(こたへ)て曰、地気天に変格して雪となるゆゑ、天の円(まるき)と地の方(かく)なるを併合(あはせ)て六出をなす。六出(りくしゆつ)は円形(まろきかたち)の裏也。雪天陽を離(はなれ)て降下(ふりくだ)り、地に帰(かへれ)ば天陽(やう)の円(まろ)き象(かたどり)うせて地陰(いん)の方(かく)なる本形に象(かたど)る、ゆゑに雪頽は千も万も圭角(かどだつ)也。このなだれ解(とけ)るはじめは角々(かど/\)円(まろ)くなる、これ陽火(やうくわ)の日にてらさるゝゆゑ天の円(まろき)による也。陰中に陽を包み陽中に陰を抱(いだく)は天地定理中(ぢやうりちゆう)の定格(ぢやうかく)也。老子経第四十二章に曰(いはく)、万物負レ陰而抱レ陽(ばんぶついんをおびてやうをいだく)冲気以為レ和(ちゆうきををもつてくわをなす)といへり。此理を以てする時は、お内儀さまいつもお内儀さまでは陰中に陽を抱(いだか)ずして天理に叶(かなは)ず、をり/\は夫に代りて理屈をいはざれば家内治(おさまら)ず、さればとて理屈に過(すぎ)牝鳥(めんどり)旦(とき)をつくればこれも又家内の陰陽前後して天理に違(たが)ふゆゑ家の亡(ほろぶ)るもと也。万物の天理誣(しふ)べからざる事かくのごとしといひければ、問客(とひしひと)唯々(いゝ)として去りぬ。雪頽悉(こと/”\)く方形(かどだつ)のみにもあらざれども十にして七八は方形をうしなはず。故(ゆゑ)に此説を下(くだ)せり。雪頽の図(づ)多く方形に従ふものは、其七八をとりて模様(もやう)を為すのみ。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.49~50)

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 ○雪頽(なだれ)2/2

|| 或人問曰(とふてしはく)、雪の形六出(むつかど)なるは前に弁ありて詳(つまびらか)也。雪頽は雪の塊(かたまり)ならん、砕(くだけ)たる形雪の六出なる本形をうしなひて方形(かどだつ)はいかん、答(こたへ)て曰、地気天に変格して雪となるゆゑ、天の円(まるき)と地の方(かく)なるを併合(あはせ)て六出をなす。

■ ある人との問答。

〈或人〉「雪の形が六つ角だということは、前の話で判りましたが、雪崩は雪の塊ですよね。
砕けた形が六角にならずに四角になってしまうのはどういうことでしょうか」。

〈京山〉「それはじゃ、地気が天に昇って変格して雪になるので、天の円(まる)と地の方形が和合したから六角なのじゃ。『○雪の形』の条(くだり)に書いたのがそのことじゃ。〔愚按るに円は天の正象、方は地の実位也〕ということとな」。

||六出(りくしゆつ)は円形(まろきかたち)の裏也。

■六角に突出するのは、円の形の裏なのです。

※京山先生のはなしは続く・・・※

||雪天陽を離(はなれ)て降下(ふりくだ)り、地に帰(かへれ)ば天陽(やう)の円(まろ)き象(かたどり)うせて地陰(いん)の方(かく)なる本形に象(かたど)る、ゆゑに雪頽は千も万も圭角(かどだつ)也。

■雪が天の領域から離れて降下して、地に戻れば天(陽)の正象の形(円)が失せて、地(陰)の実位の形(方)に変わるのです。
だから、雪崩は至るところが角立つのです。

※京山先生、よく判りませーん(笑)。

||このなだれ解(とけ)るはじめは角々(かど/\)円(まろ)くなる、これ陽火(やうくわ)の日にてらさるゝゆゑ天の円(まろき)による也。

■この雪崩が溶け始めると、角かどは再び丸くなるのです。
これは、陽の火である日光に照らされるから、丸くなるという理屈なのです。

||陰中に陽を包み陽中に陰を抱(いだく)は天地定理中(ぢやうりちゆう)の定格(ぢやうかく)也。

■陰中に陽在り、陽中に陰在り、これは天と地の定理ともいうべき本来の仕組みなのです。
※この事々も、『○雪の形』の条に書いた気がする、、、(京山の独言、、、こら!)

||老子経第四十二章に曰(いはく)、万物負レ陰而抱レ陽(ばんぶついんをおびてやうをいだく)冲気以為レ和(ちゆうきををもつてくわをなす)といへり。

■〈京山〉「えーと、老子の「道徳経」は第四十二章にこう書かれている」。
万物負陰而抱陽〕バンブツ フーイン ジ ホーヨー
冲気以為和〕 チューキ イーイー ワー(※嘘ですから、どう読むのかわかりません(笑))

 万物は陰を負い、しかして、陽を抱くのです
 それがチュウする事によって、和というものが顕れる、とな。
 嗚呼、それが虚無ぢゃ。

 ※そんな事は書いてませんが、こういう↓ことですかね(^^;

||此理を以てする時は、お内儀さまいつもお内儀さまでは陰中に陽を抱(いだか)ずして天理に叶(かなは)ず、をり/\は夫に代りて理屈をいはざれば家内治(おさまら)ず、さればとて理屈に過(すぎ)牝鳥(めんどり)旦(とき)をつくればこれも又家内の陰陽前後して天理に違(たが)ふゆゑ家の亡(ほろぶ)るもと也。

■〈京山〉「この理(ことわり)を敷衍するとじゃな、

おかみさんはいつもお内儀様のままでは、陰中に陽を抱く事が無いので天理に叶うておらぬのじゃ。時々は、、、えーと、折にふれてはだな、夫に代わって小言のひとつも言わないと、家内の安寧は保てないのだな。

だからといって、ぺちゃくちゃぺちゃくちゃと喋りすぎると、これはだな、〔めんどり(雌鳥)うたえば家亡ぶ〕ということばがあるのじゃ。これも過ぎると家内の陰陽が逆になるので、天の理に叶わないのだな」。

※〔人の体男は陽なるゆゑ九出し女は十出す〕と、女が陰、男が陽と、やはり『○雪の形』でしっかりと前振りして書いているのです(笑)。

||万物の天理誣(しふ)べからざる事かくのごとしといひければ、問客(とひしひと)唯々(いゝ)として去りぬ。

■〈京山〉「万物は天の理を違えてはならぬ、というのはこういうことなのじゃ」

と、講釈をしたら、その御仁は「へいへい、ありがたいお説でございますだ」と逃げて行ったわい。
アハハ。かんらかんら。

※悪乗り、いやいや、京山がそのように書いていると思えて仕方が無い(笑)。

||雪頽悉(こと/”\)く方形(かどだつ)のみにもあらざれども十にして七八は方形をうしなはず。故(ゆゑ)に此説を下(くだ)せり。

■雪崩は全ての形が角立つわけでは無いのですが、七八割が方形を保っている。
それなので、このように説明してみました。

||雪頽の図(づ)多く方形に従ふものは、其七八をとりて模様(もやう)を為すのみ。

■雪崩の絵を矩形の雪を多用して描いたのは、その為なのです。
(※これは、京水(絵師:京山の息子)の絵図の説明(言い訳)なのかも。
実際にはこんな物ではないという・・・)。



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