別冊

石油のこと2018/02/02 00:54

吉村昭氏の「虹の翼」に書かれている石油の話。

 石油のことが初めて記録されたのは、「日本書紀」である。
(《虹の翼》P.307)

 天智天皇七年(六六八)のくだりに、「越國獻燃土與燃水」とある。越国とは越後(新潟県)で、撚土は石炭、撚水とは石油のことである。さらに、「和訓栞」によると、石油は臭水(くさみず)といわれ、黒川村の十間四方の池に臭水がうかんでいることが記されている。が、それは灯火などに使うことなく、神秘的なものとして扱われているにすぎなかった。
(《虹の翼》P.307)

 江戸時代に入ると、正保元年(一六四四)に真柄仁兵衛という男が、越後の蒲原(かんばら)郡柄目木村で石油が出ることを確認した。かれは、二年後に南蒲原郡妙法寺村の庄右衛門という旧家の敷地内で、地中から異様なガスが出ているのを見出した。かれは、試みにそれに火を近づけたところさかんに燃えはじめたので、大いに喜んだ。そして、その湧出孔のところに臼をかぶせ、臼に穴をうがって竹筒を突き入れ、筒から出るガスに点火した。その火の明るさは、三百目ローソクと同じ程度であったという。
(《虹の翼》P.307)

 幕末になると、石油の存在が外国人の口からひろくつたわった。岸田吟香は、医師ヘボンに師事して辞書の編纂にしたがっていたが、ヘボンに越後の臭水のことを話した。ヘボンは、それは石油かも知れぬと言い、岸田はすぐに越後から取り寄せ、鑑定を求めるためアメリカへ送った。その結果、それはペンシルバニア産のものよりも上質の石油であることがあきらかにされた。ついで、越後の人である石坂周造が、新潟県の石油について鋭意研究し、明治六年、油井を開く機械をアメリカから買い入れ、石油採取に着手した。
(《虹の翼》P.307~308)

 その頃にはアメリカのスタンダード社から石油が輸入されるようになり、明治七年にはランプも輸入されて灯火油として普及していった。しかし、木造家屋ばかりの日本では使用をあやまって火災事故が続発し、安達徳基が発火性の少ない安全火止石油と称するものを売り出したりした。石油は灯火用とされていたが、石油発動機はすでに明治十七年に初輸入されていた。忠八は、そのことに気づいてはいなかった。
(《虹の翼》P.308)

『虹の翼』吉村昭・文春文庫より

www.kkjin.co.jp/boso010_131118.htm


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