別冊

雪蟄(北越雪譜)2018/01/13 23:40

北越雪譜初編 巻之上
   越後湯沢 鈴木  牧之 編撰
   江  戸 京山人 百樹 刪定

 ○雪蟄(こもり)

 凡(およそ)雪九月末より降はじめて雪中に春を迎(むかへ)、正二の月は雪尚深し。三四の月に至りて次第に解(とけ)、五月にいたりて雪全く消(きえ)て夏道となる。年の寒暖によりて遅速あり。四五月にいたれば春の花ども一時(じ)にひらく。されば雪中に在る事凡(およそ)八ヶ月、一年の間雪を看ざる事僅(わづか)に四ヶ月なれども、全く雪中に蟄(こも)るは半年也。こゝを以て家居(いへゐ)の造りはさら也、万事(よろづのこと)雪を禦(ふせ)ぐを専(もつぱら)とし、財を費(つひやし)力を尽す事紙筆(しひつ)に記(しる)しがたし。農家はことさら夏の初より秋の末までに五穀をも収(をさむ)るゆゑ、雪中に稲を刈(かる)事あり。其忙(いそがし)き事の千辛万苦、暖国の農業に比すれば百倍也。さればとて雪国に生(うまる)る者は、幼稚(をさなき)より雪中に成長するゆゑ、蓼(たで)の中の虫辛(からき)をしらざるがごとく雪を雪ともおもはざるは、暖地の安居(あんきよ)を味(あぢはへ)ざるゆゑ也。女はさら也。男も十人に七人は是也。しかれども住(すめ)ば都とて、繁花(はんくわ)の江戸に奉公する事年(とし)ありて後(のち)雪国の故郷(ふるさと)に帰る者、これも又十人にして七人也。胡馬(こば)北風(ほくふう)に嘶(いなゝ)き、越鳥(ゑつてう)南枝(なんし)に巣くふ、故郷(こきやう)の忘(わすれ)がたきは世界の人情也。さて雪中は廊下(らうか)に 江戸にいふ店(たな)下 雪垂(ゆきだれ)を かやにてあみたるすだれをいふ 下(くだ)し 雪吹(ふゞき)をふせぐため也 窓も又これを用ふ。雪ふらざる時は巻(まい)て明(あかり)をとる。雪下(ふる)事盛(さかん)なる時は、積る雪家を埋(うづめ)て雪と屋上(やね)と均(ひとし)く平(たひら)になり、明(あかり)のとるべき処なく、昼も暗夜のごとく燈火(ともしび)を照(てら)して家の内は夜昼(よるひる)をわかたず、漸(やうやく)雪の止(やみ)たる時、雪を掘(ほり)て僅(わづか)に小窓をひらき明(あかり)をひく時は、光明赤々赫奕(かくやく)たる仏の国に生たるこゝち也。此外雪籠(こも)りの艱難さま/”\あれど、くだ/\しければしるさず。鳥獣(とりけだもの)は雪中食無(しよくなき)をしりて雪浅き国へ去るもあれど一定(ぢやう)ならず、雪中に籠り居て朝夕をなすものは人と熊犬猫也。「校註 北越雪譜」野島出版より(P.20~21)

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 ○雪蟄(こもり)

|| 凡(およそ)雪九月末より降はじめて雪中に春を迎(むかへ)、正二の月は雪尚深し。

■ 雪は九月末から降りはじめて、春は雪の中で迎えます。
正月、二月は雪がもっとも深くなります。
※旧暦(陰暦)表現です。

||三四の月に至りて次第に解(とけ)、五月にいたりて雪全く消(きえ)て夏道となる。年の寒暖によりて遅速あり。

■三月四月になってからそろそろ雪解けの季節となり、五月になれば雪は消えてしまいます。
道に雪は無くなります。年回りにより遅速はあります。

||四五月にいたれば春の花ども一時(じ)にひらく。

■四月5月には、春の草木の花は一斉に開きます。

||されば雪中に在る事凡(およそ)八ヶ月、一年の間雪を看ざる事僅(わづか)に四ヶ月なれども、全く雪中に蟄(こも)るは半年也。

■一年のうちで雪があるのは八ヶ月間、全く雪を見ない期間が4ヶ月。
雪中に埋もれるのが半年間です。

||こゝを以て家居(いへゐ)の造りはさら也、万事(よろづのこと)雪を禦(ふせ)ぐを専(もつぱら)とし、財を費(つひやし)力を尽す事紙筆(しひつ)に記(しる)しがたし。

■雪国での生活は、家の構造からしてそうですが、全ての事は雪を防ぐ事と克雪(こくせつ)が最重要事となり、そのための出費と作業については、書ききれないのです。

||農家はことさら夏の初より秋の末までに五穀をも収(をさむ)るゆゑ、雪中に稲を刈(かる)事あり。其忙(いそがし)き事の千辛万苦、暖国の農業に比すれば百倍也。

■農作業は特に、その雪の無い季節の初夏から晩秋の間に作物を育てて収穫しなければならないのです。
時には雪の中での稲刈りなどということもあります。
その段取りと多忙なことは、まさに千辛万苦です。雪の無い地方と較べれば百倍の辛さといってもよいでしょう。

||さればとて雪国に生(うまる)る者は、幼稚(をさなき)より雪中に成長するゆゑ、蓼(たで)の中の虫辛(からき)をしらざるがごとく雪を雪ともおもはざるは、暖地の安居(あんきよ)を味(あぢはへ)ざるゆゑ也。女はさら也。男も十人に七人は是也。

■かといって、雪国に生れついた人は、幼少の頃からその雪の中があたりまえと思って育つので、
「蓼喰う虫も好き好き」で、雪を大変なものとも思わないのです。
これは、雪の無い地方での生活を経験していないから、比較しようとも思い付かないのです。
女性は特に他国での生活経験が無いのです、男性でも十人いれば七人くらいはそうです。

||しかれども住(すめ)ば都とて、繁花(はんくわ)の江戸に奉公する事年(とし)ありて後(のち)雪国の故郷(ふるさと)に帰る者、これも又十人にして七人也。胡馬(こば)北風(ほくふう)に嘶(いなゝ)き、越鳥(ゑつてう)南枝(なんし)に巣くふ、故郷(こきやう)の忘(わすれ)がたきは世界の人情也。

■「住めば都」ともいいますが、賑やかしい江戸に奉公に行っている人でも、何年かするとふるさとの雪国に戻ってきてしまう人もいます。
これも、七割くらいの人はそうでしょう。
「胡馬依二北風一、越鳥巣二南枝一」
北方(胡国)生れの馬は北風が吹くと故郷を思って嘶(いなな)き、越鳥(南からの渡り鳥)は南の枝に巣を懸ける、という「文選」の古詩のごとく、
♪忘れ難き古里(ふるさと)、望郷の念に駆られるのは、世の中の人情なのでありましょう。

||さて雪中は廊下(らうか)に 江戸にいふ店(たな)下 雪垂(ゆきだれ)を かやにてあみたるすだれをいふ 下(くだ)し 雪吹(ふゞき)をふせぐため也 窓も又これを用ふ。雪ふらざる時は巻(まい)て明(あかり)をとる。

■雪中では、軒下に簾を垂れます。江戸で言ったら店下(たなした)にかけるようなもの。
これを〔雪垂(ゆきだれ)〕と言います、茅(かや)で編んだ簾(すだれ、むしろ莚(むしろ)か)を下げるのです。
風と雪避けの為です。窓にもこれを掛けます。
雪が降らないときには巻き上げて、明かりをとります。

「香炉峰雪撥レ簾看」源氏物語のおねゐさんのように、香炉峰(こうろほう)の雪は簾を上げて、などという風流はござんせんですぜ。
それに、この図は雪の無い地方で遥かな遠山の廬山(ろざん)を仰ぐ図だ。

||雪下(ふる)事盛(さかん)なる時は、積る雪家を埋(うづめ)て雪と屋上(やね)と均(ひとし)く平(たひら)になり、明(あかり)のとるべき処なく、昼も暗夜のごとく燈火(ともしび)を照(てら)して家の内は夜昼(よるひる)をわかたず、漸(やうやく)雪の止(やみ)たる時、雪を掘(ほり)て僅(わづか)に小窓をひらき明(あかり)をひく時は、光明赤々赫奕(かくやく)たる仏の国に生たるこゝち也。

■大雪が続くと、雪で家が埋まってしまい屋根のぐしと同じ高さに平らになってしまいます。
明かりの入ってくる隙間も無くなり、日中でも夜のようになってしまうので、灯火で明かりをとるしかなくなり、昼も夜も判らなくなってしまいます。

雪が止む晴間に雪を掘り出して、少しだけでも小窓が開くようにして明かりをいれます。
やっと光が差し込むその時にはまさに、仏様のいらっしゃる国にでも生れたかという心持になってしまうほどです。

||此外雪籠(こも)りの艱難さま/”\あれど、くだ/\しければしるさず。

■このほか、雪ごもりの生活風景は沢山ありますが、いちいちは書ききれないほどです。

||鳥獣(とりけだもの)は雪中食無(しよくなき)をしりて雪浅き国へ去るもあれど一定(ぢやう)ならず、雪中に籠り居て朝夕をなすものは人と熊犬猫也。

■鳥獣類は、雪の中では食べ物が無くなるのを知っているので、雪の無い地域に移動する種類もいます。
こんな雪中ににこもってでも暮らしているのは、人と熊と犬と猫くらいなのです。



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