別冊

初雪(北越雪譜)2018/01/07 04:21

北越雪譜初編 巻之上
   越後湯沢 鈴木  牧之 編撰
   江  戸 京山人 百樹 刪定

 ○初雪(はつゆき)

 暖国の人の賞翫するは前にいへるがごとし。江戸には雪の降(ふら)ざる年もあれば、初雪はことさらに美賞(びしやう)し、雪見の船に歌妓(かぎ)を携(たづさ)へ、雪の茶の湯に賓客(ひんかく)を招き、青楼(せいろう)は雪を居続(ゐつゞけ)の媒(なかだち)となし、酒亭(しゆてい)は雪を来客(らいかく)の嘉瑞(かずゐ)となす。雪の為に種々の遊楽(いうらく)をなす事枚挙(あげてかぞへ)がたし。雪を賞するの甚しきは繁花(はんくわ)のしかしむる所也。雪国の人これを見これを聞きて羨(うらやま)ざるはなし。我国の初雪を以てこれに比(くらぶ)れば、楽(たのしむ)と苦(くるしむ)と雲泥のちがひ也。そも/\越後国は北方の陰地なれども一国の内陰陽を前後す。いかんとなれば天は西北にたらず、ゆゑに西北を陰とし、地は東南に足(たら)ず、ゆゑに東南を陽とす。越後の地勢は、西北は大海に対して陽気也。東南は高山(かうざん)連(つらな)りて陰気也。ゆゑに西北の郡村は雪浅く、東南の諸邑(しよいふ)は雪深し。是陰陽の前後したるに似たり。我住(わがすむ)魚沼郡(うをぬまこほり)は東南の陰(いん)地にして・巻機山(まきはたやま)・苗場山(なへばやま)・八海山(はつかいさん)・牛(うし)が嶽(たけ)・金城山(きんじやうさん)・駒(こま)が嶽(たけ)・兎(うさぎ)が嶽(たけ)・浅草山(あさくさやま)等の高山(かうざん)其余他国に聞こえざる山々波濤のごとく東南に連(つらな)り、大小の河々(かは/”\)も縦横(たてよこ)をなし、陰気充満して雪深き山間(やまあひ)の村落なれば雪の深きをしるべし。冬は日南の方を周(めぐる)ゆゑ北国はます/\寒し、家の内といへども北は寒く南はあたゝかなると同じ道理也。我国初雪を視る事遅(おそき)と速(はやき)とし其年の気運寒暖につれて均(ひとし)からずといへども、およそ初雪は九月の末(すゑ)十月の首(はじめ)にあり。我国の雪は鵞毛をなさず。降時はかならず粉砕(こまかき)をなす。風又これを助く。故に一昼夜に積所(つもるところ)六七尺より一丈に至る時もあり。往古(むかし)より今年にいたるまで此雪此国に降ざる事なし。されば暖国の人のごとく初雪を観(み)て吟詠遊興(ぎんえいいうきよう)のたのしみは夢にもしらず、今年も又此雪中(ゆきのなか)に在る事かと雪を悲(かなしむ)は辺郷(へんきやう)の寒国(かんこく)に生れたる不幸といふべし。雪を観て楽(たのし)む人の繁花(はんくわ)の暖地に生(うまれ)たる天幸を羨(うらやま)ざらんや。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.13~14)
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 ○初雪(はつゆき)

|| 暖国の人の賞翫するは前にいへるがごとし。江戸には雪の降(ふら)ざる年もあれば、初雪はことさらに美賞(びしやう)し、雪見の船に歌妓(かぎ)を携(たづさ)へ、雪の茶の湯に賓客(ひんかく)を招き、青楼(せいろう)は雪を居続(ゐつゞけ)の媒(なかだち)となし、酒亭(しゆてい)は雪を来客(らいかく)の嘉瑞(かずゐ)となす。雪の為に種々の遊楽(いうらく)をなす事枚挙(あげてかぞへ)がたし。雪を賞するの甚しきは繁花(はんくわ)のしかしむる所也。

■ トカイ人の雪を愛でることについては、前節でも書いたとおり。
江戸方面では、雪の降らない年もあるので、それはそれは珍しがる。
雪見の船に芸妓をはべらせ、賓客を招いて雪見障子の内に焜炉の釜で茶を立てる。
吉原では、あれ♪雪じゃいな~と、客は居続けの言い訳にしてしまう。
居酒屋屋台は、千客万来と仕込みの準備だ。
何につけてもトカイの人は雪をいい事に、遊ぶことを考える例は枚挙に暇(いとま)なしだ。
雪で一番喜ぶのは、遊興行楽客引き商売だ。

||雪国の人これを見これを聞きて羨(うらやま)ざるはなし。我国の初雪を以てこれに比(くらぶ)れば、楽(たのしむ)と苦(くるしむ)と雲泥のちがひ也。

■雪に埋もれた地では、これを聞いてうらやましがらない人はいない程だ。
我が越後の初雪とトカイの初雪とを比べてみれば、行楽と苦行とそれは眞逆のことなのです。

||そも/\越後国は北方の陰地なれども一国の内陰陽を前後す。いかんとなれば天は西北にたらず、ゆゑに西北を陰とし、地は東南に足(たら)ず、ゆゑに東南を陽とす。越後の地勢は、西北は大海に対して陽気也。東南は高山(かうざん)連(つらな)りて陰気也。ゆゑに西北の郡村は雪浅く、東南の諸邑(しよいふ)は雪深し。是陰陽の前後したるに似たり。

■日本列島を眺めるに、越後の国は北方に当るので“陰”の地といえるのです。
陰のその地のなかをみると、陰陽が逆転していることになるのです。
その訳は、先ず「“西北”は陰、“南東”は陽」ということを押さえておいてください。

日本全体の地勢
〈陰〉西北、戌亥・乾(いぬい・けん)、越後の国
〈陽〉東南、辰巳・巽(たつみ・そん)、

越後の国の地勢
〈陰の方角〉西北には、日本海、海は陽なのです。
〈陽の方角〉東南には、連なる高山、山は陰なのです。
それなので、西北(海側)の地方は雪が少なくて、東南(山側)の僻村は雪が深いのです。
つまりは、これは陰陽が逆転している地である、とは言えまいか。
(※よく判りませんが、そういう理屈らしい(笑))

||我住(わがすむ)魚沼郡(うをぬまこほり)は東南の陰(いん)地にして・巻機山(まきはたやま)・苗場山(なへばやま)・八海山(はつかいさん)・牛(うし)が嶽(たけ)・金城山(きんじやうさん)・駒(こま)が嶽(たけ)・兎(うさぎ)が嶽(たけ)・浅草山(あさくさやま)等の高山(かうざん)其余他国に聞こえざる山々波濤のごとく東南に連(つらな)り、大小の河々(かは/”\)も縦横(たてよこ)をなし、陰気充満して雪深き山間(やまあひ)の村落なれば雪の深きをしるべし。

■しかして、日本の北西の地(陰)であるところの越後の国のその中の魚沼郡は、
方角では陽の地(越後の中の南東部)であるのに、地形では陰(山々)となるのです。
日本有数の名山からはたまた無名の山まで怒涛の如く連山を成しているのです。
また大小の河川が縦横している、魚沼の地は陰気満々の山間村落なのです。
これによっても雪の深さを推し測れまいかのう。

||冬は日南の方を周(めぐる)ゆゑ北国はます/\寒し、家の内といへども北は寒く南はあたゝかなると同じ道理也。

■冬は太陽の運行は南行するので、北国はますま寒いのです。
室内にいても、北側は寒くて南側は暖かいのと同じ理屈です。

||我国初雪を視る事遅(おそき)と速(はやき)とし其年の気運寒暖につれて均(ひとし)からずといへども、およそ初雪は九月の末(すゑ)十月の首(はじめ)にあり。

■こういう地域なので、年毎の巡りで遅速はありますが、初雪の時期は大体九月末から十月初旬(陰暦)となるのです。

||我国の雪は鵞毛をなさず。降時はかならず粉砕(こまかき)をなす。風又これを助く。故に一昼夜に積所(つもるところ)六七尺より一丈に至る時もあり。往古(むかし)より今年にいたるまで此雪此国に降ざる事なし。

■この地の雪は、はらりはらはらと舞う羽毛の様にはならないのです。
降る時には必ず粒に固まった様になって吹雪くのです。これに風が勢いをつける。
それなので、一昼夜もあれば積もる場所では、2メートルから3メートルになることもあるのです。
昔々より、現在にいたるまで雪が降らない年などは無いのです。

||されば暖国の人のごとく初雪を観(み)て吟詠遊興(ぎんえいいうきよう)のたのしみは夢にもしらず、今年も又此雪中(ゆきのなか)に在る事かと雪を悲(かなしむ)は辺郷(へんきやう)の寒国(かんこく)に生れたる不幸といふべし。

■だから、トカイ人のように、初雪を見て吟行朗詠、はては呑めや歌えのどんちゃん騒ぎの楽しみは考えられないのです。
嗚呼、今年もまた半年は雪の中にあり、雪に泣き、辺境寒国の地に生れ合わせたことを歎くのです。

||雪を観て楽(たのし)む人の繁花(はんくわ)の暖地に生(うまれ)たる天幸を羨(うらやま)ざらんや。

■雪を見て楽しめる享楽繁華の地に生れなすった僥倖はせいぜい感謝しないといけませんぜ>あなたの事だ!トカイ人へ。
※んなことは書いてませんが(笑)。
天保年代の作者(鈴木牧之か山東京山)のご意見は原文で読んでね。『北越雪譜』1836年初編。

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