別冊

150922_奥会津にて・「大芦家」2015/10/29 01:20


150922_奥会津にて・「大芦家」







150922_奥会津にて・「大芦家」
子供夫婦とその子達(はい、孫です!)も来たので、車で一緒に大芦に行く。
帰りにからむし織の里に寄る。




150922_奥会津にて・「からむし工芸博物館」2015/10/29 01:30


150922_奥会津にて・「からむし工芸博物館」




春から継続しているテーマの展示だった。
文字として残っている「からむし」関係の書誌の展示のパート2。

「六百年前」からとずっと流布されている、この地(現昭和村)での口碑は事実なりや、という事も再び見直そうという真摯なテーマも扱っている。







羅葡(大根)」とある。
明治14年に奥会津下中津川村の戸長が福島県令に提出した文書の下書きの写しを活字化した資料。
おそらく元の手書きには、ふりがなとカッコ内文字“大根”はなかったのではないかと思われる。

大根のことを、太古の日本列島の人々は「おおね」といった。らしい。
ある時代に大陸から文字が流入された。
その頃の日本列島の人々は、詞(ことば)にはとても敏感だったのと、大陸から移入された文字をせっせと、もとからの詞(大和言葉と言っていいのかしらん)に文字化した。
そして「おほね」を漢字で表現して「大根」としたのでした。
つまり大根というのは、漢字を使用しているのですが、日本固有の表現なのですね。
ところがそれを再び移入元もどきの発声をすると、訛ってダイコンになった。
それがまだ文字を表現するよりも音声による伝達手法の方が利便性があったので、伝達される変遷で、ダイコ、とか、デーコとかになったのです。
これでは、公式呼称にならなくなった。
それで、日本国内の公式文書を書ける人は、元々の大陸で漢字で表現していたムツカシイ字を使用したのです。
それが、「羅葡(らふく、とか、らいふく)」という正式単語(と呼称)らしいのです。

その、「羅葡」という文字を、わたし(掲載子)はつい数ヶ月前にも見つけたのでした。
その本というのが、元禄時代に刊行された『農業全書』という本の復刻本です。
足掛け2年、抜書き作業中です(^^;
この図で「羅葡」の漢字にふってあるルビは「だいこん」と読める。

150922_奥会津にて・「織姫交流館」2015/10/29 01:42


150922_奥会津にて・「織姫交流館」

「織姫交流館」店内にて











小鍋ひとつ分。

150922_奥会津にて・月光さしん2015/10/29 01:47


150922_奥会津にて・月光さしん

散歩途中で暗くなった。

150923_奥会津離郷の日2015/10/29 01:49

150923_奥会津離郷の日
本日は今年三月に亡くなった昭和館のばあちゃん(義母)、束原ヤマトの「初の秋彼岸」。

150923_奥会津離郷の日



倉(くら)の中にあった。
手前の白いものではなくて、茶色の木製の道具。
以前に見かけてなんだろうかと思った。
使い込まれた痕跡がある。
田んぼで使うらしい、とまでは想像していた。
何気に写真を撮ったので、全体も写さなかった。

風呂の湯をかき回す道具、ではない。とは想像していた。
昭和館は一応旅館なので、広い風呂(三畳ほどはあるだろうか)があるのです。
その様な風呂の湯をかき混ぜる道具は売っていないので、義弟が、材料(板と棒)を途中で調達してきて風呂のかき混ぜ棒を作っていた。

ちょうど、野尻の庄一さん夫妻(庄一あんにゃと信子姉)がいらっしゃった。
それで、その話題になったので、この写真に写っている道具の話をしたら、庄一さんは「それは『えんほり棒』だな」とおっしゃったのでした。えんぼり棒に近い発声かもしれない。
「えんほり棒」とは、田植え前の田んぼを耕して、水を入れて代掻きをする、その時に、水の上に緩(ゆる)く出ている土の塊(泥ですね)を均(なら)す道具だとおっしゃるのです。
エンホリがどういう字かまでは確認しなかった。漢字で表現すると、縁彫(ふちを削る)だろうか(妄想です)。

「あれは、軽くて、楽(便利)だったわな」
水を張った田んぼの上を、丁(T)字型の道具を引いて均すのです。

今度、行った時には、きちんと写す予定。それまでにこの道具が廃棄処分されることはありえないので(笑)。




車窓



こないだの豪雨ではあの辺りまで水が。

別冊