別冊
2015年7月18日。
奥会津昭和村の「からむし織の里フェア」のイベントの一つ、からむし畑とカスミソウ畑見学ツアー。
からむしの次は、バスはカスミソウの一大圃場のある、矢の原高原に向かいます。
中組の大芦で一番大きい墓地領域。
この地は、腰巻(こしまき)と呼ばれています。
腰巻とは、衣類のことではなく、館(やかた)となっている根拠地の山裾をぐるりと囲んでいる地形を呼称する一般的名詞(地名)らしいのです。
従って、日本全国各地にある。
そして、この地名(腰巻)の付いている場所というのは、中世(西暦千六百年以前)にまで遡ることができる景観であるということです。
というようなことを、カスミソウ栽培を生業としているK氏が調査考察しています。
また、この大芦で一番大きな墓地のある近傍は、戊辰戦争の戦場ともなりました。
この話はまたあとで(^^;
こんな大型トラックが、どうやって入ってきたのだろう。
矢の原高原の道路は、観光用イベントで大型バスが入ると、対向車がすれ違える場所がないので、その時間帯は全面通行止めになると聞いた。
その場所に、公衆トイレ設備が作られるということでした。
農業用取水所はここ一箇所らしい、もともと稲作栽培などには不適の地であったので、農業用水堀などはない。
ここで汲み上げた水を、各自の圃場に運んでいるらしい。
このエントリのトラックバックURL: http://yebijin.asablo.jp/blog/2015/08/07/7727658/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
別冊
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。