150116_高田梅の話 ― 2015/01/19 00:52
みんな、そんなに愛する高田梅をここまできちんと食ってますか?
写真に写すのに、苦労したぞ(笑)
高校(=通称南高)で教師をしていた人が、高田梅の中でも優れたものを「南高梅」と呼んだことに由来すると聞きました。梅の王様にふ
さわしくないような、なんとなく、ロマンのないネーミングセンスにショックを受けたのでよく覚えています。 高田梅と南高梅の呼び
名の違いは、柑橘でいう不知火(しらぬい)とでこぽんとの違いみたいなものでしょうか…不知火の中でも糖度の高い選ばれしものだけが
でこぽんと名のることをゆるされるそうです。長々と失礼しました!
昨晩中にレスがあれば、と思って準備していたが、「俺は酔ってる」と自覚したので、寝てしまうことにした。
俺が言おうとしていたサマリをまとめてしまったサイトまであるのか!
天神様のことである。
わたしは理科系なので、そのことを正しく説明すると、その種は、「さね」というのです。
さねは「実核」と書く。いや、これはあとから辞書で調べたことであるが。
なんで、天神様というのか。
そのサマリサイトが説明しているようではあるがですね、ま、そういうことです。
梅の実なので、そこには菅原道真(すがわらみち『さね』)なのですよ。
つまりは、梅の実(果実)は大変ありがたいものであるが、その核については、昔の人も青いうちに食すると毒になる(かも知れない)ことを知っていたのです。
それで、梅の核は、触らぬ神に祀り上げたのだと思います。その上、この形状はとてもいろいろな連想をさせるのですね。
天神様と言えば、会津ではお雛様の形状を作った人形もありました。
「デコ様」といいます。それも天神様です。
ここから敷衍すると、起上り小法師も、「デコ様」であり、天神様なのです。
つまり神様だったのです。決して、いろいろと、こねくり回したりしてはいけない「神様」。
昔(昭和時代と思ってください)、デコ様や、神棚に置いてあった飾り物(例えば福助とか布袋様とか)は、触ってはいけないものでした。
ましてや、それに落書きなどはしてはいけないのです。
何故か、梅の実のサネと同じことです。バチが当ることにしてあったのです。
それが、あるときを境に、よその人がやってきて、起上り小法師をこねくり回しはじめたのです。
それは何か、そうです。起上り小法師にデコラしてもよくなってしまったのです。
私がそのことに気づいたのは、311の後のことでした。
ええい!、昨日から考えていて、酒気帯にならないと調子が出ないのだが、それを思い込みすぎて酒気帯になったら、昨日考えたスゴイ主張を忘れてしまったので、寝る!。
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