別冊

140509_山口昌男さんのこと2014/06/07 01:11



140509_備忘

なぜか、山口昌男さんの本を連続して読んでいました。
山口昌男さんは、一時期ご自分の蔵書まで持ち込んで、奥会津昭和村の廃校(旧喰丸小学校)に住んでいらっしゃったことがあるのです。
1980年代のことです、そこに移住しようという計画だったそうです。
その頃は、山口さんが井上ひさしさんなどをお連れして、旧小学校の体育館(昔は講堂といった、行政の名称は僻地集会室という設備名だったかもしれない)で講演会などもあったようです。
そのときに、井上さんが、(自分は山形県の片田舎の出身だが)「いやぁ、ききしにまさる羨ましいほどの『田舎』ですね!」とご挨拶をして、聴講に参加した村人がどっと笑った、というエピソードは村内で時々語られている。
本州は南東北の福島県奥会津の隙間風の入り込む廃校の小学校のがらんとした教室(または職員室か)で、それよりはるか北の地の北海道出身の同氏でも、冬期間にはあまりに寒くて引っ越されたということでした。
奥会津昭和村「昭和館」の先代の主人(故人)とは懇意だったらしく、時々遊びにいらっしゃったそうです。
そして、言ったそうです。「いやぁ、昭和村の冬は寒くて寒くて!」。
そのこと(エピソード)が、ひょっとして同氏の著書のどこかに書かれていないかと思いながら読んでいるのですが、わたしが今年になって読んだ三冊の本は、初出時期は同氏が昭和村にいらっしゃるよりも以前の本ばかりでした(笑)。

それでも、一冊目の本からは“昭和館”という単語を見つけたのでした。
そこに書かれていたのは同氏が若い時に“新宿昭和館”という新宿にある映画館に、夏場には涼みをかねて入り浸ったことがあった、という内容でした。
ここから妄想が始まります。
何故山口さんが一度は奥会津“昭和村”に移住しようと思ったか、そのきっかけは、同氏の若い頃のその“昭和館”という固有名詞だけからの連想が働いたかも知れないという妄想です。
暑さに耐えられずに映画館“新宿昭和館”に行った山口さんは、寒さに耐えられずに“奥会津昭和村”からすたこらさっさと逃げ出したとさ(個人的感想です(笑))。

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