別冊

130815_例大祭準備中・拝殿風景2013/09/13 02:30

2013年8月15日。小中津川、気多神社にて。

130815_例大祭準備中・拝殿風景

例大祭準備中のところに出かけてみた。
なんとなく、のこのこと入り込むのははばかれるのですが、数年前の例大祭の時には、この場所の末席に座らさせていただいた。
今年は、準備中のところを中まで入らさせていただいた。
ついでに、写真も撮らさせていただきました。

中央奥が、別棟(奥殿)とつながる通路となっている。
右にあるのが神輿。普段はこの場所には無いらしい。






戦前には、格式ある奉納板や、御札、奉納され額縁、書紙類などがこのような場所に所狭しと貼り出され飾られていたらしい。
現在残っているのは、ほとんどが戦後のものである。
ひょっとして左上の坂書は戦前のもの。
戦後の荒んだ一時期に、剥がされて薪にされたり、紙類はまさに襖の裏張りにされたというのです。

そして、現在の形になるまでには、張りだされている「御寄付芳名」や「建立奉賛者御芳名」という板をみると、
昭和55年に気多神社拝殿基礎工事、平成10年に大修理(石鳥居、御神燈代石)などとあります。
それから、現在まで15年の歳月が経ち、石段などがすこしずれてきています。
単純な経年変化か、先の311東日本大地震の為かはわかりません。





昭和63年以前に、とある文化財修復の団体が調査と修復指導?に何度もいらっしゃったらしい。
その記念に、この額絵を製作されて、気多神社に奉納されたということでした。

この絵は、「気多神社曼荼羅」という画名となっている。
「小中津川気多神社曼荼羅」ではなく、「気多神社曼荼羅」である。
雲形模様で場面の絵を変えて一枚の絵に複数の場面を描くのは古来の定型手法なのですね。
講釈をたれると、背景と木々で春夏秋冬も表現している。

そして、左側の海があって帆掛け舟から長い道行きの構図の部分は、
ひょっとして海辺(越)の国の神様が山国会津の国まで勧請をしに来たあらまほしき図(または寓意)を説明しているのかもしれません。
というのは、小中津川の現在の敷地面積では、これだけの堂宇などは建てられない場所なのです。
しかし、右三分の一に描かれている図は、現在の実際の小中津川気多神社の図をほぼ忠実に表現しているといえます。
つまり写実絵なのです。

この額絵は、写真で写して小さな額を作りました。
恐らく小中津川集落のほとんどの家(つまり気多神社の氏子)には飾られています。
そして、この写真をもって、氏子代表が、本源の地能登国は気多大社に報告を兼ねた参拝に出かけたそうです。

これらのエピソードはまた後で書く事にします。


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