別冊

備忘(10/09/01-09/04)2010/09/06 00:54


備忘(10/09/01-09/04)
10/09/01

10/09/01

10/09/03

10/09/03

10/09/04

朝顔観察~9月9日2010/09/12 19:16


朝顔観察~9月9日
朝顔(10/09/06)

朝顔(10/09/06)

朝顔(10/09/08)

朝顔(10/09/09)

ナニコレ珍百景・只見(10/09/08)2010/09/12 19:21


ナニコレ珍百景・只見
ナニコレ珍百景


ナニコレ珍百景
【ツイッターログより】
@yebijin   TV朝日。チャンネル変えたらたまたま「只見川のブロッケン現象」珍百系登録! 映っている人は新国さん?。訂正、珍百系←珍百景


NYHC二次会カラオケ(10/09/09)2010/09/12 19:29

コメントをつけると映っている方に怒鳴り込まれそうです。
ま、ディスプレイの映っている画像をクリックしてご想像下さいませ(笑)。

NYHC二次会カラオケ(10/09/09)









備忘(10/09/11~10/09/14)2010/09/16 01:01


備忘(10/09/11~10/09/14)
ホワイトボード(10/09/11)マスクしてまでアップするほどでもないが、備忘なので(笑)

ホワイトボード(10/09/11)


朝顔(10/09/11)

朝顔(10/09/13)

朝顔(10/09/13)


朝顔(10/09/14)

お祭りの寄付金の相場(10/09/12)


恵比寿駅東口(10/09/12)


備忘(10/09/15~10/09/22)2010/09/22 20:20

備忘(10/09/15~10/09/22)

備忘(10/09/15~10/09/22)
WB(10/09/15)

朝顔(10/09/15)

WB(10/09/16)

朝顔(10/09/16)


朝顔(10/09/17)

恵比寿の遠州屋さんも載っていたぞ。「恵比寿文化祭」のパンフレット。



都立大学柿の木坂商店街通り、氷川神社の祭礼、昼の行列。


都立大学柿の木坂商店街通り、氷川神社の子どもみこし。
朝顔(10/09/21)

朝顔(10/09/22)


朝顔(10/09/22)

9月23日、奥会津へ2010/09/27 22:24

■9月23日、奥会津へ

9月23日、奥会津へ
出立日の首都圏目黒区の朝景色。


東武線に乗って、スカイツリーを見学するときには要注意。
進行方向左側に見えるので、そのまま見えるのかというと、途中で線路はカーブしている。

途中から進行方向右側に移動して、後方側を見ていないと見逃すのである。


来た来た、、

ほらね!

ここまで近いと、一瞬で見逃すので注意だぞ。
打ち明けると、昨年来、やっと(初めて)写せたのである。

本日は、台風12号が近づいているらしい。車窓より。立ち込めた雲の向こう、西側の空には明るく白い二層の隙間。

本日(23日)は、とにかく寒くなった。
少しは寒いかも、と思ったが格段の違いである。
妻は、上着を着てから「電車内が冷房ではないのか」と勘ぐって、車掌に申し出たのであった。
「すみません!冷房をゆるめてもらえますか?」
車掌が答えた、「お客様、現在車内は暖房に切り替えております」。
旅客は着替えてから文句を言えるが、車掌は半袖のままで職務を遂行しているのだぞ!


「中三依温泉(なかみよりおんせん)」最近駅名が微妙に変わったような気がする。
寒いせいか、ついつい、何故か「中身より温泉!」と読んでしまった。
その隣駅が「上三依塩原温泉口(かみみよりしおばらおんせんぐち)」も、「むりなのでしばらくおまちぐちやめろ」などと読んでしまう。←無理無理!


会津荒海駅も雨焔に煙っていた。




会津田島駅、観光案内所(みなみやま観光株式会社?)の手書き案内ボード。
ボード手前の4つのパンフレット、右から2番目にあるパンフレットは、昭和村の「野尻川ます釣り大会」のパンフレット。
南会津町は、「田島町のその奥の昭和村」へ行く通過点であるから宣伝に協力してくれているのかも知れない。
えらい!しかし、昭和村は電車では田島駅に到着してからしかたどり着けない場所であることを承知の上で、首都圏東武線のターミナル(出発点)浅草駅でイベント「だいじょうぶだ・昭和村」を開催しているのだぞ。
このイベントに協力して参加したのは金山町だけだぞ。


「塩トマト」。8月には、『当店人気ナンバー1』とのタグカードが付いていたが、今回は付いていなかった。
かといって、他の商品に『人気ナンバー1』とついた商品も無かった。前回は『人気ナンバー2』も『人気ナンバー3』もあったと思ったのだが。
いろいろと難しい事情もあるのかしらん、と勝手に憶測する。
前回は「田島町の地産品、一番の土産だぞ」と言って会社へのお土産にもしたのに。


田島駅。


アイスクリーム、やまぶどう味は試してみたい。
学生は250円のところ150円と大サービスである。


田島駅、首都圏のどこかの市場では「節物」のリンドウに花がついていなかったという。


田島で地産品を買う人は、だまされることはない。すこし、よいしょしてしまいました。


昨年、第一回で開催された「鴫山城まつり」。これは天地人が後押しした地域おこし。
今年は昭和村でも、明治時代には既に途絶えていた気多神社の渡御祭(とぎょさい)が復活して、話題となった。
これも、「113年ぶり」かもしれない。


昨晩は、お月見の行事があったらしい。台所に昨晩のお飾りが片付けられておいてあった。
衣をつけて揚げた団子をいただいた。

9月24日の小中津川風景2010/09/28 01:19

■9月24日の小中津川風景

9月24日の小中津川風景







キミエ姉の家の庭の電柱。
なんでも、ミツバチが電柱の中に巣を作り始めたらしいというので、巣箱を取り付けたらしい。
先月は、庭の朝顔にはミツバチが沢山飛んでいた。
そのミツバチの一党が巣作りを始めたのか。
少しだけ近所の話題になっている。


昔からの地形なのだろうが、最近、山の傾斜が二段になっていることに初めて気づいた。

正面から見ても、でん、でん、と見えたのだ。


中央の色違いの山が、本名山。

>>そうした山の信仰はきまって、たとえば早池峰山や岩木山のような霊山を眺望することの出来る地域にかぎって、濃密な分布をしめす。
遠野の周辺でも、早池峰山が見えない地域には、とりたてて早池峰信仰もお山駆けの習俗もみられないらしい。
津軽の涯(は)ての竜飛(たっぴ)岬の稲荷の社で、お山参詣の古い写真を見たときのことを思い出す。
若い頃にお山参詣をしたという村の老人は、集落からは見えない岩木山が、舟で漕ぎだした海上からは見えるのだと教えてくれた。山はひたすらに仰ぎみられる時間の堆積のなかに、しだいに、ある宗教的な崇敬の結晶へと高められてゆく。
そこにはたぶん、仏教よりも深い信仰や習俗の時間が埋もれている。
【東北学】赤坂憲雄。P.58

本名(ほんな)の人は本名山を眺望することが無い。
昭和村の「本名(ほんな)」姓の人たちは、地名としての本名から下中津川や小中津川に移ってきてはじめて本名山を眺望できたのではないか、と、
「東北学/忘れられた東北」赤坂憲雄・講談社学術文庫を抜書きしてみて、そんなことをぼんやりと思ったのである。

[抜書き] 「東北学/忘れられた東北」
http://www.kkjin.co.jp/boso010_100606.htm



「柴(しば)」で作った、朝顔のトンネル。
昔々おじいさんが山へ柴刈りに行きましたが、山には「柴の木」という種類の木は生えていないのです。
枝付きのままの雑木(ぞうき=いろいろな木々)が主幹ごと伐られると、「柴」になります。おそらく。
若い木なので加工変形が容易です。
また、伐られた結果に柴と呼ばれる木は、鋸(のこぎり)などではなく鉈(なた)や大鎌などで切断できる太さや柔らかさ(しなやかさ)を持つものです。
おそらく。進さんの家の庭の畑には、柴だけで作ったハウス(植物の蔦を絡ませるための「手」)がありました。
「手」という表現は、ブログ『記憶の森をあるく』に書かれていた事の受け売りです。
インスパイアと思って欲しいのですが、

昔は集落の無かった佐倉と大芦のあいだの千石沢(せんごくざわ)に移住してきた方が企画して始められた炉端寄席。らしい。


進さんの家の軒下。

「玉屋敷」(←畑の名前)の畑のトマトときゅうりを植えていたハウスの解体。
屋根となる部分は、昔は「柴の手」だったのだろう。おそらく。
映っていないが、凸型の両端には、おまじないのように柴が一本ずつありました。




某家の倉の中。苗代ので苗取りをするための作業用の台(橋)ではないかと思う。


奥の細木巻き(ほそきまき)の橙色はカボチャである。
東京に戻ってから知ったことであるが、妻は、自分のカメラでこの細木巻きのカボチャを主題として写真を撮っていた。
「すごいでしょう!」とこれ見よがしにわたしに見せたのである。
あ、あの場所だな、とすぐにピピンと来た。
実はわたしが、その場所で写した写真がこれである。
わたしは、細木巻きの手前の畑の片付けられたハウスの跡を写していたのである。
なぜか、解体済みのパイプのある殺風景な景色とは思えなかったからである。
おそらくこのまま雪が降って来年の春までそのままにしておかれる風景なのであろう。
がしかし、ここには儀式があると感じたのである。
なぜか、一見放置された風景に見えるかも知れないが、パイプの上に一本の木を乗せてあるのである。
この一本の木が、季節の儀式を済ませた証左なのである。と思ったのである。
このことに思い当たったのは、宮本常一氏の事を書いた佐野氏の本を読んだからである。
その本には、日本各地の海岸には流れ着いた木に石を乗せてある風習があるらしいということが書かれていた。
その流木は単に流れ着いて放置されたものではなく、石を乗せることによって、誰かが手をかけているのだぞと、
所有権、もしくはその木は他の人と既存の関係を持つことを主張しているのである、といった説明であったように思う。
その本が手元に無いので、おそらく、と書いておくしかないが。
妻が細木巻きの空中にまで這い登ってきたカボチャの実を見て「すごいでしょう!」とコミュニケートしてきたのを、わたしはうなづきもせずにその近くの畑の中の一本の木(農作業の終了儀式としてパイプの上に木を置いた)の事を、とうとうと(知ったかぶりで)ぶって(講釈して)しまったのである。
少し酒気帯びでもあったが、ついつい知ったかぶりを主張してしてしまったのである。
後で、少し反省したが、このことについて釈明はしていない。
こんなことで釈明したら、わたしの私生活の立ち位置もなくなってしまうではないか。
妻よ、いつもの「内弁慶!」と思って聞き流してくれ。


夏に来たときには、白いアジサイを見かけた。

【参照】10/07/16小中津川学
http://yebijin.asablo.jp/blog/2010/07/21/5230139

こんどは、白いコスモスを見かけたのである。↑で書いた文章を使いまわしをすると、こうなった。
今年は何故か白いコスモスをよく見かけた。昭和村はカスミ草の大産地。カスミ草は元々白い。
染め色カスミ草として染色したカスミ草は大反響である。染め色カスミ草は購入者にも大事にされる。
白いコスモスはカスミ草を擬態しているのかもしれない。←嘘ですよ。


9月25日小中津川2010/09/29 00:51

9月25日小中津川にて

9月25日小中津川
義弟がコンクリートを擦りながら草刈り中。
面白そうだが、装備と体力(運動能力)とメカ音痴の問題等々で筆者は見てるだけ~。

進さんの家の前の畑、これが正調の「柴の手」によるハウスである。


近所の蔵の壁。蔵の壁を白くする理由は見栄えだけではないのかも。


小中津川集落の範囲は、柳沢(折橋)の沢とこの沢(旧道は橋がある)が境界線だったのではないかと妄想する。
境界を示すように、胡桃の木が残っている。一昨年か去年あたりに沢沿いに桜の木が植えられている。
どなたかが苗木を寄進したらしい。そのうちに、ここは桜の名所となるか。

旧診療所の庭のケヤキ。



旧診療所。
昭和村出身者の方でこの画像を見たら、きっと懐かしがる人は沢山いらっしゃるはずである。
おそらく、なんとかしたい!と思う人も、、、

9月25日スタディツアー(私設)2010/09/29 01:02

9月25日スタディツアー(私設)
わたし(筆者)が、昭和村滞在のアナウンスをしておいたので、本日は孝雄さんから開店準備中の大芦家で昼食でも、とのお招きをいただいた。
K氏も一緒。K氏からは「大雨でなかったら、フィールドワーク、長靴と傘を準備されたし」とメールが入った。
うれしい。前回のスタディツアーのコースを同氏が反芻しながら廻ってくださるのである。

9月25日スタディツアー(私設)
K氏の軽トラで、両原方面へ。フィールドワークに同行(案内)させていただいた。
この山に、等高線に沿った二つの道があるらしいという仄聞を又聞き。



すわ、路上に未確認生物が!これは、路上に遊んでいたカラス。意図してブラせたわけではない。

喰丸集落へ。K氏の話を聞きながら時々メモをしていると、カメラがおろそかになる。
後でノートのメモ(殴り書き)を見てみた。自分で書いたのに読めないのである。
読めるところを書き写すと、
「への字山」「喰丸●?」「両原の先がせまい」「こしまき」「根堀場」「すなごはら」「てんぐやしき」
「古屋敷」「両原は村が焼かれた」「古やしき(写):(=写真を撮ったというメモらしい)」「あたご」「赤倉木地」「最前線」、、などとある。

木地師の墓らしい、この場所は馬場勇吾さんが調査して記録に残している場所である。

同地。これらの墓の墓碑(戒名?)の記録も同氏(馬場勇吾さん)が


その奥にもわたしには自然石とも人工石とも判別できない石がある。
ひょっとして礎石かも知れない大きな石もある。





K氏の見立てによれば、これらのきのこ類は昨日あたりから急に繁茂した。



じゅうねん。


一旦車に戻りUターンできる場所まで。
そこに、きのこなどの直売所があった。
羽染兵吉さんの奥様が、「今日はじめてきのこを並べた」という。
このサクラシメジは、一ヶ所で採取したものだという。
サクラシメジ、去年の今頃に初めて耳にした事を受け売りするのだが、これが別名「鱒(ます)ダケ」というきのこではないかと思い当たった。
【参考:2009年秋の入口】
http://www.asahi-net.or.jp/~KD5J-IGRS/trip090919/index.htm
ここから両原集落に戻って、赤坂を通って大芦へと行くのであるが、まだまだフィールドワークの途上である。
ここからの出来事は、「別冊恵比塵」ではなく『恵比寿塵報』に仕立てようと思っているのだが、本文記事がまだ書けないのである。

別冊