別冊

5月4日、朝の散歩2010/05/10 20:35


5月4日、朝の散歩
朝、日はまだ山を照らさないが、月を照らしいてる。


本日になって、急に桜などが開花し始める。
こぶしと桜。

旧診療所前の桜。いつもは一番遅く咲くというピンクの桜が先に咲いた。


はげ山裾野の桜。


進さんの家の入り口玄関脇。笹巻きを結束するヒロロか。

×ヒロロ、◎スゲ、のようです。
10/05/25 一部改定しました。

散歩中に前方から来たクルマが止まった。たくみさんだった。
これから家族で「水芭蕉祭り」に出かけるところだという。

生のたまちゃん、かづちゃん、もえちゃんに会う。
「おかちゃがごにょごにょ」と話しかけてくれるが、内容がわからない。
父(たくみさん)の翻訳によると、「おかあさんのお腹に、赤ちゃんがいるんだよ」と言っている、らしいのである。
助手席に見える人型の一部は、今度4人のおかあさんとなるたくみさんの奥さん。
顔が映っていないが、これだけでやさしい笑顔が見えるのである。
すばらしい家族風景の写真ではないか!特に撮影者を明記しておく(笑)→(撮影:恵比塵)

平地の葉が萌え始めている。木の種類がわからない(泣)


柳沢の途中、橋のそばの桜。


正面上部の薄緑が、ブナの地帯。、、ですよね。

上田、墓場下の桜。

上田地区の坪神様?の祠。


ハゲ山の雪形(YUKIGATA)を確認。

蔵の中。蓑(みの)だろうか、背負子(しょいこ)だろうか。

蔵の中。唐箕(とうみ)。おそらく数十年仕舞い込まれたままだと思う。

蔵の中。胴(どう)。川や堀に沈めておいて、魚(どじょう)を捕まえる道具。

気多神社近く、杉林。なぜか、アタゴオルのヒデヨシ(主人公のネコ)の顔に見えたので写す(笑)。
ヒデヨシは、いろんなものに乗り移って寝ていたりするのである。

気多神社近く、杉林。ナントカアオイだろうか。

コゴミ。ザルをゆすってコゴミの古皮をふるい落とす。
ザルの網目は用途によって大きさが違うことがわかる。
台所ではなく畑で作業することにより、土に戻す。

虹のような雲が出ていた。


5月4日、「からむし市」のからむし織の里(1/2)2010/05/10 22:23


5月4日、「からむし市」のからむし織の里にて
妻と散歩ということにして、からむし工芸博物館「からむし市」へ。
柱の陰に誰かがいるのだ!(笑)

「からむし市」。大芦の方の織った布を織姫がコラボした。との説明。

「からむし市」。あ、『田舎に泊まろう』で見かけた人だ。苧績み。

「からむし市」。製品を入れてあったざる。屋号が書かれている。

入り口脇の書架の一角。さりげなく、しかし、しっかりとした意思を感じるセレクションされた本たちである。


工芸博物館展示室内。韓国の「モシ」

工芸博物館展示室内。苧浸しだけに稲を植えていない水を張っただけの田んぼがあったのだ。
春に稲の苗を育てた田んぼだろうか。記憶にありそうななさそうな。

【訂正(ご指摘ありがとうございます)
アサのツケバ(浸け場)とは、水田ではなく、「つけば」です。水面下地面に草を生やし、泥が浮かないようにした構造の水田様の水たまりです。流水をかけながします。
苗を作った跡、というものではなく、アサ栽培産業時の専用のものです。


(追記)
からむしの「つけば」ではない。アサの「つけば」。
カラムシは刈り取りから原麻となるまで時間をかけられない、アサは時間をかける。ということがどこかに書かれていた。
アサの「つけば」はシオカラトンボやオニヤンマを捕った田んぼだ。網や釣竿を振って取った。
シオカラトンボは同じ田んぼ内で飛翔していた。オニヤンマは田んぼにつながる堀(沢)の方から時々巡回してきては、飛び去った。
上の神社の手前の田んぼも、それ(アサの「つけば」)だったのでは、だんだんと思い出してきそうである。

工芸博物館展示室内。

からむしの歴史年表パネル。
【昭和61年(1986年):第1回からむしフェア開催。
この年から民族文化映像研究所による自主制作記録映画の撮影が始まる(1988年、完成試写会)】とある。
公史には残らないその時(時代)の当事者の感情を思い感慨にふける。

織姫交流館内。「森商事」のオリジナルです。


織姫交流館内。東京の見本市でも好評だったOLINDA。

 ブログの写真アップの制限数により、いったんここまで。


5月4日、「からむし市」のからむし織の里(2/2)2010/05/12 01:40


5月4日、「からむし市」のからむし織の里(2/2)
織姫交流館内。じばた織。

織姫交流館内。ざる作り。

織姫交流館内。ざる作り。

織姫交流館内。ヒロロなど、素材も販売中。

織姫交流館内。麻の原麻。糸に加工するまでの説明書付である。
付加価値とは、糸や布にまで加工することだけではないのではないか、と思う。

織姫交流館内。またたび、「ネコ用」との明記。


工芸博物館展示室内図書コーナー。「忘れられた日本人」宮本常一。どなたかの寄贈か。


帰省した子供(孫)と遊ぶ、近所の風景。次は夏休みに会えるかも。


5月5日、朝の散歩2010/05/15 00:56


5月5日、朝の散歩。
YUKIGATA。はげ山。

YUKIGATA。日本列島がこんなところに。

はげ山裾野の桜。


中央工作物は、恐らく枯葉を積む施設。柱が基本的構造物。内容量によって、壁となる板が高くなったりする。
板を上にずらせば(上下方向の引き戸と同じ)、下方が開いて、先入れ先出し方式で古い(醗酵させた)枯葉(肥料)を引き出せる。


折橋近く、村営住宅近くの桜。


下中津川。庭の畑の桜。この老人は、花の見栄え(枝ぶり)を吟味しながら、桜の枝の先を切っていた。
丹精された古木。


下中津川、本名新聞配達所のおばちゃん。本名秀子さん。
「おはようございます」「写真取りの人かい?」
去年もお会いして立ち話をしたが、わたしの素性を思い出して下さった(笑)。


下中津川、桜。


下中津川、桜。

下中津川、桜。


下中津川、熊野神社境内。
どこかのゴルフクラブ関係の緑化推進運動の社団法人の寄進木らしい。
寄進したときに境内に立てたらしい固有名詞の標識だけが目立つ。
その時だけの善意の押売り、、と、思ってしまう。
枝は雪折れを避けるために結わえたままである。
木を押し付けたら、春になったら世話しに来てほしいと思う。
これでは、宣伝(免罪符だ)の標識しか残らなくなってしまうではないか。


熊野神社境内。「硯石(すずりいし)」という岩が鎮座している。


熊野神社境内。「硯石の由来」初めて見た、読んだ。
これを見てしまったら、掲載子が勝手に命名して紹介している小中津川気多神社そばの「くま石」が二番煎じと思われてしまうではないか!


熊野神社から、役場裏につながる舗装された農道を歩く。初めて歩いた。
とにかく村内のメイン道路(国道)は、実際に歩いてみると、歩道部分は側溝のブロックがでこぼこしたりして、歩きにくいのだ。
こちらの道路は、クルマも通らないのと見通しがいいので、歩きやすい。
そこで見つけた杉の木に守られた鳥居。


下中津川、公民館そばの広場。丸く積まれているのは雪の山。真冬にイベントでもあったのか。
ほぼ同じ形の雪の山は、からむし織りの里の駐車場そばにもあった。


下中津川、農道歩行の途上で見かけた防災用砂防?ダム。

5月5日、「からむし市」のからむし織りの里2010/05/15 01:08


5月5日、「からむし市」のからむし織りの里
子供の日、昨晩夜中に昭和村に来た息子(Yと同行者(仮名:Oちゃん))とからむし織りの里へ。
親であるわたしは2人を「案内してやろう」と意気揚々と連れて行ったのである。
去年から続いている偶然はここでも超偶然が起こるのである。
このOちゃんは、Yと知り合う前に2年前の夏にも昭和村に来ていた(からむし織りの里フェア)というのである。
そして、昭和館に宿泊していたのである。その時にOちゃんと一緒に来た女性は、現在織姫として村に滞在中というのである。
2年前(08年)のフェア当日、わたしも昭和館にいたのである。


昨日と同じ位置には、苧績み(おうみ)をしている女性。
一晩、糸を作り続けていたのか体形が変わっている。嘘です、別人です。


「息子です!」と学芸員のH女史に紹介するが、信じないのである。
確かに信じられなくても致し方ない、メタボおじさんとイケメン(子供の日なので少しよいしょを添加)の青年である。
そのうえ、わたしには信じられなくても致し方ない前科(駄法螺メールとか)もある。
屋上屋を重ねて、H女史も知っている元織姫で恵比寿見本市に常駐した「ありのき」さんをOちゃんは知っている、
などと説明したら「絶対嘘だ!」と思ってしまう。
H女子も知っている元織姫の元祖(失礼)のM女史は大芦のわたしの生家に住んでいた、などと説明して誰が信じるものか!


去年から続いているあまりのアンビリーバブルな縁(えにし)話は、1/3も出来なかった。
あまりにも信じてもらえないことはカメラにも乗り移ってしまい、写した画像はこんなことになってしまったのである。


博物館受付の縄のひねり細工。


織姫交流館内。
苧引きと苧績み道具を入手したいという、Oちゃん。苧裂き棒を触ってみている。
苧裂き棒は、「竹とそれを立てかける普通の瓶(ビン)があれば代用できるので買わなくてよい!」と
営業妨害のような説明をする。「別のものを買いなさい!」と少しだけフォロー。


織姫交流館内。
正面奥は実演者、体験コース先生の本名寅江さん。マタタビでざるの底部分を編み込み中。
同じ数で編みこんでも、マタタビの太さで大きさが変わる。
ほぼ同じ大きさにするための板がある。
隣(右奥)の佐藤平喜さんが、「そこは、7本は入れねーで、6本だべな」と自分の作業の手は休めずに助言する。
手前の女性はヒロロの縄縒り(なわより)を教わっていた。
左の男性は、村内の人、体験コースの先生ではないが、あがりこんで縒り方(よりかた)を手振りで説明している。
「こーやって、ずーっと上のほうに揉んでな」、


作って見せたヒロロの縄がこれ。

教わる女性の縒っている途中の写真。
くだんの女性に、「へたくそなところを写させてください」ときちんと頼んで、写したのがこれ。

縄にまでなったヒロロ(店内の展示商品)と、その元(素材)とを比べてため息をついている、体験中のお客様。


織姫交流館内。


5月5日、離郷。2010/05/16 01:50


5月5日、離郷。
息子たちが田島駅まで車で送ってくれたので、バス代の代わりにみやげ物を買って渡す。
『土っ子田島味噌』2種類。花農家の田島の田部の湯田さんが作っている。
陳列ケースには、試食用も置いてある。
袋の説明書きをチェックしているベジタリアン達に、自信を持って「なめてみろ!」と薦めてみる。
「おいしい!」。
南会津町味噌関係はいくつもの生産者が売店に納めている。
これは、5月1日に売店にあることをチェック済み(笑)。
店員は、きちんと「立てたままで保管してください、呼吸しているので上には空気穴が開いています」
と説明してくれる。これは生産者の湯田さんが販売店の人にも丁寧に使い方を説明を依頼(教育)している証左でもある。

田島駅、会津線側の車両。


田島駅、会津線側の車両。右側に連結してある車両は、お座敷トロッコ車両。

車窓より。1日には見られなかった堤防の桜がずらりと咲いている。
正面上方奥の平らな稜線が、昭和村との境界の船鼻山。


車窓より。


車窓より。


甚パ羊羹。製造元が代わったかも。



赤坂憲雄氏著作書評記事2010/05/16 22:19


赤坂憲雄氏著作書評記事

赤坂憲雄氏「婆(ばば)のいざない-地域学へ-」「旅学的な文体」
朝日新聞5月16日


首都圏恵比寿では、金星、入りました。2010/05/16 22:56


首都圏恵比寿では、金星、入りました。

首都圏恵比寿では、金星、入りました。
(嘘ですm(_ _)m、すみません)
元画像と奥会津からの風景は、こちらでどうぞ(笑)
『陶芸人の日誌』 
 http://youzanyo.tea-nifty.com/cup/2010/05/post-a9f5.html


『山の民マタギ』BS日テレ(5月21日午後10時~)2010/05/21 23:06


5月2日に博昭さんと孝雄さんと一緒に福島県奥会津の山を散策したことは既報した。
http://yebijin.asablo.jp/blog/2010/05/08/5071713
5月21日、BS日テレでは『山の民マタギ』という山形県のマタギの番組を放映していた。
山形県小国町小玉川である。この地(小国町)は、東北学でも会津学でも掲載されている地である。
その山の散策でもTV放映(ロケ地:山形県小国町)とほとんど同じ風景を実見したのである。
TVでは熊狩りなので、望遠鏡で熊を見つけるシーンもあった。
わたしが連れて行かれた山では、熊の足跡も視認した。
博昭さんは「あの沢(B沢)にいるのでしょう」と説明したが、望遠鏡で探すことはしなかった。
望遠鏡ででも熊の現物を見せられたら、ビビッているわたしたち(孝雄さんも(^^;)が動けなくなってしまうことを心配しての思いやり(おもてなしだな)だったのかもしれない(笑)
途中に割り込んでいる写真は、わたしが唸りながらTV画面を写しているのを取材している娘を逆取材した写真。
最後の写真は、TV画面を勝手に転載してしまうことのお礼を兼ねて、「スバル・フォレスタ」という名前のクルマを販売しているスポンサーの『スバル』を少しだけよいしょしただけ。

10/05/25 一部改定しました。
『山の民マタギ』BS日テレ(5月21日午後10時~)














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